医学部5年生として学業にも励む日々(写真/本人提供)
医学部5年生として学業にも励む日々(写真/本人提供)

■「ピアノの練習環境」を最優先に、名古屋大学を志望

 愛知県のトップ校とあって、同級生の多くは東大、京大などの最難関大学への進学を目指した。しかし、自宅を離れてはピアノの練習環境を整えるのが難しいだろうと考えた沢田さんは、自宅から通えることを最優先し、名古屋大学医学部を第1志望に。塾や予備校に通うことなく合格した。中学時代にピアノの恩師が言った「お医者さんをやりながらピアニストもできるんじゃない?」という何げない言葉は、ピアノと医学の勉強の両方にエネルギーを注ぎ続ける沢田さんの原点だ。

「医学部は医師志望の学生の集まりなので、ある意味すごく閉じた環境にならざるを得ません。音楽の世界でも同様なことが言えるでしょう。そんななか、もう一つ自分の世界を持つのはすごく健全なことだし、どちらかの世界で煮詰まったときには、もう一方の世界がいい逃げ場所になることもある。日本には『二兎を追う者は一兎をも得ず』ということわざがありますが、海外では『ダブルメジャー』という考え方は一般的です。追いかけたいことが二つもあるなんて幸せなこと。これから進路を考える人たちにとって、自分がひとつのモデルケースになれればという思いもあります」

■環境と時代に恵まれたからこそ今がある

 現在、医学部5年生。まだ専門は決めていないが、小児科や産婦人科、公衆衛生の分野に興味が出てきた。医学部生として忙しい日々が続くが、一方、来年1月に予定されているソロコンサートのチケットも完売。これからも学業とピアノを「両輪走行」していく。

「少し前に読んだマイケル・サンデル氏の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という本にも書いてあって共感したのですが、環境に恵まれ、時代に恵まれたからこそ、いま評価されている自分がある。本当にありがたいと思っています。ピアノにしても医師の仕事にしても、目の前にいる人が笑顔になって、幸福度が少しでも上がって帰ってくれる姿を見るのが一番好きだし、やりがいを感じる部分。これまで通り、目の前のことを一つひとつ丁寧にこなしていきながら、どちらもずっと続けていくのが夢です」

沢田蒼梧/さわだ・そうご
1998年愛知県生まれ。東海中学校・高等学校を6年連続首席で卒業後、名古屋大学医学部医学科に進学。ピアノは15歳から関本昌平氏に師事。2015年ピティナ・コンペティションG級金賞、18年ジュネーブ国際音楽コンクール最年少ベスト16入選。第18回ショパン国際ピアノコンクール本大会に出場し、2次審査まで進んだ。

(文/木下昌子)

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