元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 瀬戸内寂聴さんは亡くなる直前まで新聞連載を書いておられた。とことん自分を使い果たしての旅立ち。そして生涯に400冊を超える本を書かれたと知り、改めて驚愕(きょうがく)する。私といえば、フンフンと盛大に頑張ってようやく7冊目を出し「よくやった!」と自画自賛していたところであります。話にならん。馬力の次元が全く違う。というか、ここまでやってやってやりきったからこその見事なゴールなのだろうと、我が身の甘さを思い頭(こうべ)を垂れる。

 数々の評伝を読み改めて注目したのは、寂聴さんが51歳で出家したということだ。

 飛ぶ鳥落とす流行作家の身で、家財も恋人も捨て仏にすがった理由。おそらくは数え切れぬほど聞かれたであろうその理由を、ああ答え、こう答え、結局は自分でも説明できないのだと寂聴さんは語っている。そこは、50歳で会社を辞めた私にもわかる気がする。人生の転機とは合理的な理由や周到な計画の果てに行われるものではなく、ただ目の前のことと格闘するうちに、あれこれの疑問やタイミングが一気に集中して、気づけば目の前に一本道ができているものなのだ。

大磯の仕事にかこつけて、憧れの茅ヶ崎館に泊まる。小津安二郎監督が滞在されたお部屋!(写真:本人提供)
大磯の仕事にかこつけて、憧れの茅ヶ崎館に泊まる。小津安二郎監督が滞在されたお部屋!(写真:本人提供)

 いずれにせよ、寂聴さんがあれほどの旺盛な活動をいくつになってもイキイキと継続されたのは、この「出家」が大きな鍵だったのではなかろうか。

 出家とは、それまで自分を支えてきたものを捨てることだ。長年かけて培った価値観を根本から変えて生き直すという、人生をかけたチャレンジである。恋愛と不倫の果てに「煩悩地獄」に陥った寂聴さんは、欲を捨てて生き直そうとした。でも後年、欲のない人生はつまらないとも語っている。それほど欲を捨てるとは難しいことなのだろう。

 でも寂聴さんは、仏の視線を獲得した。欲は捨てられずとも、苦しんでいる赤の他人を助けることを人生の中軸に置いたのだ。そのことが寂聴さんを地獄から救い、新たなエネルギーで人生を満たしたのではないか。長い老後に立ち向かう身として、それは大きなヒントであり希望である。

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2021年11月29日号