出産当日、おなかに軽い痛みを感じてモニター(分娩監視装置)を付けると、不定期に陣痛の張りが出ていました。この日は金曜日で、翌日から祝日の月曜日まで3連休であり、このまま肝臓の数値が変わらなければ、連休明けの25日に帝王切開になると言われていました。
■夫の手をギュッと握った
「今の状態ではもう25日までもたないと思います。休日はスタッフの人数も少ないし、緊急オペは危険なので、今日のうちに帝王切開しましょう。ただ、今日は連休前でオペ室がいっぱいです。赤ちゃんが小さいので産科は3名入れたいのですが、どうしても夕方まで空きません。赤ちゃんが危険にならないように、もう一度点滴をしてもいいですか?」
私の肝臓の状態から頭痛や吐き気が起きるかもしれないと言われましたが、少しでも安全に出産するために承諾しました。
突然会えることになったおなかの中の息子に向かって夫とふたりで声をかけ、最後に夫の手をギュッと握ってからオペ室に入りました。
息子は生まれたとたん、へその緒が付いた状態で泣き出しました。
「お~元気だ元気だ」
そう言いながら、ター先生は私に息子の顔を見せてくれました。双子の出産時とは雰囲気が全く違いました。オペ室には可愛いクリスマスソングが流れ、スタッフの鼻歌も聴こえました。
「元気な男の子だよ。良かったね」
夫もター先生も「よかった」「よかった」と繰り返し、さらにペインコントロールのおかげで術後の痛みも全くなく、安心して眠ることができました。
■不安定な状態が1カ月
ところが、翌日の早朝。病院に泊まって息子を診てくれていたター先生から、夜遅くに息子は呼吸が安定しなくなり、人工呼吸器を挿管したと言われました。双子の娘たちは生まれたその場から挿管していたし、週数的にも当然だとは思いましたが嫌な予感がしました。
息子の不安定な状態は、そのまま1カ月近く続きました。無呼吸発作が多く保育器から出せないとのことで、1月半ばになってもまだ抱くことすらできませんでした。毎日毎日、冷凍した母乳を届けに行き、指先を保育器に入れて顔をさわり、「また明日ね」と言って帰宅する日が続きました。
生後1カ月が過ぎるとやっと状態が安定し始め、GCU(継続保育室)に移ってすぐに、頭のMRIを撮ることになりました。
検査当日、順調に行けば40分程で戻ると言われていたのに、1時間半が過ぎても息子は戻って来ませんでした。心配で何度も待合室の外の様子を見ていたところ、ター先生の姿が見えました。ター先生はゆっくりこちらに歩いて来ると、息子の検査結果について話し始めました。
■障害の有無はきっと関係ない
障害児がふたりになってしまった衝撃は、言葉では表せないものでした。産む決断をしたことが間違っていたのだと、自分を責めたこともありました。
でも、息子は今、多くの友達に恵まれて、好きなことをたくさん見つけ、毎日とても楽しそうです。
きっと障害の有無は関係なく、チャンスは誰にでもあり、チャレンジして実現するかは自分次第。
これが、息子が14年間ずっと私に教え続けてくれていることです。
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