着物姿の従業員が対応する店内(1925年頃)
着物姿の従業員が対応する店内(1925年頃)

 その後、同盟に加盟する書店は8社になり、成功を収めたが、各書店の都合で97年前後に、同盟書房は終止符を打つ。ただ、三省堂書店だけは独自の出版を続けたが、1915年に出版・印刷部門を分離する。

「だれの発案か定かではないが、旧三省堂書店は、社内通称『小売部』とし、株式会社三省堂の方は時と場合で『出版部』とか『本社』と呼称することで当面の便宜を講ずることになった」(『三省堂書店百年史』)

 こうして現在の三省堂書店がスタートした。すずらん通りを挟んで斜め向かいにあるのが、1890年に創業し2020年に130周年を迎えた東京堂書店である。すずらん通りにはこうした書店が軒を連ね、人力車に乗って東京見物をする人たちに車夫が「これが有名な三省堂、あちらが東京堂でございます」と説明したという。

 明治の後半になると神田神保町には、さらに書店が集まり始めた。しかし、当時開店して書店として現在も残るのは、三省堂書店と東京堂書店の2店だけだ。

 なかでも三省堂書店が140年の歴史を紡いでいくことができたのは、忠一のチャレンジ精神が現在も引き継がれているからだろう。

 神田神保町は、近くに明治大や、日本大、専修大のほか、現在は移転したが中央大、東京外国語学校(現・東京外語大)、東京商大(現・一橋大)などがあった学生の街でもある。その学生のニーズに応えるため、文具も販売する。1927年には文房具部でオリジナルのノートを販売。自社ブランド「ブックマン」として販売した万年筆やインクなども学生に愛用された。

「『学生のデパート』と呼ばれたときもありました。学生さんは当店の大事なお客さんですね」(中嶋さん)

 著者のサイン会も、1934年ごろに始まり、三省堂書店が草分け的存在である。当時マルベル堂でブロマイドの売り上げ1位を記録した映画俳優の入江たか子や、ヘレン・ケラーなども同店でサイン会を行った。

 本を積み重ね、オブジェのように展示する「タワー積み」というディスプレーも三省堂書店が発祥で、この「タワー積み」は全国に広がり、店頭の名物となった。

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