「応援演説を頼まれて嫌だった」

 加害生徒がそう不満を漏らしたと報じられると、ネットではその繊細さを批判するコメントが目立ち始める。しかし、その2日後に「給食の箸をすぐ渡してくれないときもあった」という話が出ると、またもや被害生徒に落ち度があったとするコメントが並んだ。さらに翌日、加害生徒が修学旅行にスマホを持参したことを教員に指導されたことが、「嫌なことの一つだった」と供述したと報じられると、再び加害生徒を非難する声が増えていった。

■気持ちの一貫性を保つ

 たった数日の間に、ネット上では「悪者」が行ったり来たりしていく様子にショックを受けたという人もいる。

 都内に住む男性(29)は言う。

「いじめの報道が出たとき、鬼の首を取ったように被害生徒へのバッシングが増えていったようで怖かったです。真相はまだわからないし、ネットのコメントは無責任すぎると思います」

 なぜ、こうした極端な声が飛び交うのか。『同調圧力の正体』などの著書がある同志社大学政策学部の太田肇教授は、今回の事件をめぐるネットの動きを「いじめと同じ」だと指摘する。

「日本の職場や学校は共同体意識がとても強く、それはネット空間でも同じです。相手のちょっとした落ち度をついて、間違いを正すことで社会に貢献したという達成感を得る。本人たちはいじめではなく、正義だと思ってやっているのです」

 世直し感情ともいえるが、そこに絶対的な基準は存在しない。主張の正しさを維持するために、視野も狭くなりやすい。太田教授は言う。

「心理学で、認知的不協和理論という言葉があります。自分でこの立場を取ると一度決めると、それを正当化する言説に賛同して、それ以外の反対意見は固辞する。気持ちの一貫性を保とうとする心理が働いているんです」

■情報のパーソナライズ

 その“正当化”をより強める要素の一つが、情報のパーソナライズ化だ。

 たとえば、ヤフーニュースでは、14.5文字の見出しがついたヤフートップに並ぶ記事はすべてのユーザーに平等に届けられている。だが、その下には、ユーザーの閲覧履歴に合わせて自動で選ばれた記事が続く。

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