他には、斎藤から1年遅れでリリーバーとして渡米した岡島秀樹が思い出される。巨人では一時は抑えも任され2001年には25セーブをマークしたものの、その後は成績を落とし、2006年に日本ハムにトレード移籍。新天地では輝きを取り戻し、主にセットアッパーとして55試合に登板して防御率2.14と安定した投球で日本一に貢献すると、オフにレッドソックスと2年契約を結び、メジャーへの移籍を果たした。
すると、巨人入団時につけていた背番号「37」を背負いアメリカで躍動。デビュー戦となった開幕戦では初球を被弾されるスタートとなったが、その後は得意のチェンジアップを武器に安定した投球を続け、オールスター前には13試合連続無失点を記録して斎藤らとともに球宴に選出。最終的に66試合に登板して3勝2敗、5セーブをマークし、ホールドも前年(日本ハム時代)の20個を上回る27個を記録した。
また、日本人投手としては初めてとなるワールドシリーズでの登板も果たし、1年目にしてチームの世界一にも貢献。投球のリリース時に捕手のミットから目を切る独特のピッチングフォームは日本でも注目を浴びたが、アメリカでも「Non-looking delivery」として話題となるなど、成績以外の部分でも注目を集めた。
メジャーでは通算6年間プレーして、17勝8敗、84ホールド、防御率3.09。NPB時代は15年間で防御率が3.19だったこと、そして米国のレベルが日本よりも上ということを考えるとメジャーで成績を上げたといっていい選手の一人だろう。
先発投手では横浜の4年間で1勝どまりだった大家友和も、23歳とキャリアの序盤にメジャーに挑戦し、米国でNPB時代以上の数字をマークした選手だ。
元々メジャー志向の強かった大家は1998年オフに球団からの了承を得て、レッドソックスとマイナー契約を結び渡米。チーム傘下の3Aで好投を続け、日本のフレッシュオールスターに当たる有望株たちの球宴「フューチャーズ・ゲーム」で世界選抜チームの先発投手を任されると、7月にメジャー昇格を果たす。