「氷の上に乗るとできるというか、氷の上で見せたいものがあるんです。
そのために努力は常に積んでいる。そこでいっぱいいっぱいなんですよ。信じるとか信じていないとか、不安だとか緊張とか怖いとか、正直、そういうことすら考えている余裕はない。自分が見せたいものに、ただひたすら、一心不乱になってやっている。だから、信じているんじゃなくて、やることをやっているだけだと思います」
こうも語った。
「何かをするときは、怖さが生じたりするじゃないですか。その怖さが、特に北京オリンピックのフリーの瞬間、消えたというか。注射を打ってもらって、足首を痛いと思う必要がなくなって、これだけ努力をし、多くの方々が自分に期待をかけてくださって、応援の力ももちろんですし、サポートしてくださっているんだから、失敗する気がしないという感覚でした。自分の自信というより、周りの方を信じ切った4分だったなと思います。逆にけががないと、そういうサポートを直に感じ続ける時間がなかったのかな、とも思います」
そう話しながら、これまで多くの人に支えられてきたことを振り返った。
「僕の人生は、そういうことが多いんです。3.11(の東日本大震災)もそうですし、その前にリンクがなくなったときもそう。いろいろなつらいことがあったからこそ、『支えられているな』『本当に運がいい人間だな』と、巡り合わせが本当によかったなと思えることが多いですね」
誰もが多くのサポートを受けられるわけではない、というのはそうかもしれない。
ただ、彼を多くの人が支えてきたのは、ただ運が良かったからではないと思う。力になりたいと思わせるだけの姿勢を、羽生が貫いてきたからに違いない。
人が何かに熱中している姿というのは、魅力的なものだ。また、彼は、苦しさやつらさ、うまくいかないこともさらけ出してきた。
■「みんなが幸せだから」
「平昌から北京までの4年間で、自分の中で限界だなとか、回復しづらいとか、さまざまなことを年齢のせいにしたことがありました。自分が表現したいことや練習してきたことがなかなか評価に結び付かないとか、苦しいことがありました」
見る者も苦しさやつらさを一緒に体験して、また応援したくなる。
練習を重ね、クワッドアクセル(4回転半)ジャンプの完成まで、あとほんのわずかというところまできたが、成功に至らなかった。2月10日、北京五輪の演技を終え、「報われない努力だったかもしれない」と隠さず言った。