作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。6人目のゲスト、脚本家・演出家の倉本聰さんとの対談を振り返ります。
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倉本さんは、憧れというか雲の上の人でもあった。「北の国から」というドラマに感銘を受けて、どんな人なのかなあと思っていた。
そんな倉本さんから新しいことばを二つ教えてもらった。一つは、「チック」。ドラマの中ではチックが大事なんだそう。
チックは、筋ではなくて琴線にふれる言葉だったりシーンだったり。
確かに人生の素晴らしさって、小さなチックの積み重ねかもしれない。自分がどうなって何かを達成して、じゃなくて。何者かにならずとも、その過程での小さな忘れられないシーン、心に残る情景やことば、空気感、そんなものが生きてる意味だったりご褒美だったりすると思った。
倉本さんは正直な人だった。なんで富良野に行ったんですか? 転機は?という質問に、
「いやいや、僕、NHKとぶつかっちゃって、東京にいられなくなって、北海道に逃げたんです」
いきなりなんだか北の国からである。ちなみに、倉本さんの、この「いやいや」ということばの合いの手が好きだ。
「でもそのおかげでこういう今の生活ができるようになった」
何が好転するかわからない。逃げることはもしかしたら、新しい自分を見つける積極的な術かもしれない。
戦争を経験されている倉本さんにウクライナ情勢について聞いてみると、のっけから視点が違う。
「つまりね、復興っていうのはね、どういうことかっていうのを、僕らは見てるわけですよね」
戦争をまず復興から。
「僕らは疎開しましたけども、東京に帰ってきたとき、がれきの山だったでしょ。地震が起きたときとか、洪水が起きたときに、泥だらけになった映像が、最近でもよく映るじゃないですか。あれのもっと激しいやつですよね、爆撃されたがれきの山っていうのは」
倉本さんの語り口から、やけにリアルな絵が浮かぶ。