「誰がどうやって(がれきを)動かすのって、当時は重機がなかったでしょ。全部手作業。それを、腹をすかせた当時の人間がみんなやったわけです、手作業でね。渋谷の街だって、そういう僕らの先輩たちが、汗水流して取り除いたとこにアスファルトを張って、その上にいまの街があるってことを若者たちは知らない。戦争なんて、おおよそ自分が行くことになろうなんてことは思ってもいない。コロナ禍でも路上飲みなんかしてるのを見ると、おまえらの足元の下に何があるかって少し考えてみられないの?って」
想像力があれば足元からも戦争は感じ取って考えることができるんだ。そして倉本さんからもう一つ新しいことばを知る。
「僕、この間、『貧幸』という言葉を自分で言ったんだけど、貧しい幸せってね。僕ら、戦争中に防空壕(ごう)の中に飛び込んでね、おやじやおふくろに抱かれて、うちはクリスチャンだったから、賛美歌を一生懸命歌った。爆弾の落ちる音の中で。僕はあのとき、ものすごく幸せだったという記憶があるの。全然その、不幸せとか、そういうのを感じてなかったっていう記憶が、いま残っているのね。親に守られてるっていう、ぬくもりがあって、親のにおいがあって」
恐怖の中で感じた強烈な幸せ。いま、豊かな時代だけれど幸せの濃度や密度は薄いのかもしれない。
自分の体を動かして、大地を踏み締めて、心を揺さぶって生きていきたいと強く思った。
※AERA 2022年10月10-17日合併号