村山茂子さん
村山茂子さん

「まずは成績より挑戦。『こんな体だから何もできない』と決めつける前に、今できること、私なりの価値を見つけたい。昨日の自分より今日の自分。いつまでも強く美しくありたいと思っています」

 今年6月に挙式したばかりの新婚さんでもある。

「夫は解体業で重機のオペレーターをしています。最初から片腕のことを話していたので、違和感なくすんなりと交際。お料理だってチャッチャと作ります。結構アバウトですけどね(笑)。傷痕? 私にとって、今ではチャームポイント。これからも生きるパワーをどんどん発信していきます」

 九州を代表する名湯・黒川温泉がある本県南小国町から参加した村山茂子さん。普段は農家民宿「木もれび庵 たゆたゆ」を1人で切り盛りしている。

「最初にミセスコンテストに出場したのが2年前、72歳でした。別団体の大会ですが、知人から紹介された時は『無理無理、絶対無理』ってお断りしたんです。でも受け付け最終日にフッと、『これまでたくさん色んなことにチャレンジしてきたけど、ミセスコンはなかった。もしかしたら新しい人生の入り口かも』って思い直したのです」

 熊本県水俣市生まれ。21歳の時に千葉で結婚したが51歳で離婚し、大阪に転居した。その後、同郷の幼なじみと再婚して03年に南小国町へJターン。約600坪の畑で無農薬野菜を栽培しながら、07年に「たゆたゆ」をオープンさせた。

「標高750m、東に九重連山を望む山裾の高台にあって10月末からの紅葉がとってもきれいです。個人客や中学生・高校生の体験学習や修学旅行の受け入れをメーンにしています」

 ところが09年、夫が劇症肝炎を発症し、1週間で急逝した。悲嘆の中、自身にも胃と腸にガンが見つかり、手術するなど不運が続いた。ついにはうつ病を発症。2年余り療養生活を余儀なくされた。

「それでも地元の方々はそっと見守ってくださったんです。その距離感が心地よくて、随分と助けられました」

 もともと好奇心は旺盛だった。社交ダンスを始めたことが凍りついた心を溶かし、16年に起きた熊本地震の直後からボランティアで被災地へ通い、持ち前の明るさが戻った。

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