半世紀前、赤坂見附交差点に赤坂東急ホテル(現・赤坂エクセルホテル東急)が出現した時は、その奇抜な色彩とデザインから「軍艦パジャマ」の異名が冠された。今昔対比の撮影でカメラを向けると、大胆なホテルのフォルムがファインダーからあふれ出てくるような錯覚にとらわれた。(撮影/諸河久:2022年9月10日)
半世紀前、赤坂見附交差点に赤坂東急ホテル(現・赤坂エクセルホテル東急)が出現した時は、その奇抜な色彩とデザインから「軍艦パジャマ」の異名が冠された。今昔対比の撮影でカメラを向けると、大胆なホテルのフォルムがファインダーからあふれ出てくるような錯覚にとらわれた。(撮影/諸河久:2022年9月10日)

 次が赤坂見附交差点から永田町方向を写した近景写真だ。画面の中に大きく写るのは「軍艦パジャマ」とニックネームされた「赤坂エクセルホテル東急(旧赤坂東急ホテル)」で、旧景のガソリンスタンド跡地に建設され、1969年9月に開業しているレジェンドだ。

宮松金次郎氏の傑作「弁慶堀畔」

 最後の写真は風光明媚だった弁慶堀畔を走る33系統飯田橋行きの東京市電400型。畏敬する大先輩・宮松金次郎氏(1911~1970)が1938年初夏に撮影された戦前の傑作だ。原板ネガをご子息の宮松慶夫氏から拝借してデジタルリマスターしている。

この写真は戦前に宮松金次郎氏が撮影された東京市電作品の白眉ともいえる傑作だ。札ノ辻と飯田橋を結ぶ33系統には三田車庫の400型が充当されており、弁慶堀畔の紀伊国坂の上り勾配に挑む姿が克明に描写されている。赤坂見附~紀ノ国坂下(1944年10月に停留所廃止)(撮影/宮松金次郎:1938年5月1日)
この写真は戦前に宮松金次郎氏が撮影された東京市電作品の白眉ともいえる傑作だ。札ノ辻と飯田橋を結ぶ33系統には三田車庫の400型が充当されており、弁慶堀畔の紀伊国坂の上り勾配に挑む姿が克明に描写されている。赤坂見附~紀ノ国坂下(1944年10月に停留所廃止)(撮影/宮松金次郎:1938年5月1日)

 緑豊かな弁慶堀には木製欄干の弁慶橋が架かり、赤坂見附坂に差し掛かる青山線の市電も遠望できる。戦災もモータリゼーションも知らない佳き時代の東京がここにあった。

■撮影:1963年2月10日

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