誰か人がいたり、関係を持つなんて発想が最初からないのです。だから高齢者が孤独を恐れているなんて、なかなか理解ができないのです。むしろ、自分ひとりの時間がありあまるほどあって、最高じゃないですか。誰にも邪魔されないで、自分だけのひとりの時間が楽しめるなんて、最高の贅沢なのに、どうしてかな?と逆に疑問を持ってしまいます。今の僕なんか絵を描かない日は、全く何もしません。テレビも観ないし、本も読まないし、何もしないという無為ほど愉しいことはないのに、というのが僕の愉しみなんですよね。

 何かしなきゃと、誰かと話したり、関係を持ちたいのは、きっと今までの生活習慣の結果ではないんでしょうか。定年で生活がガラリと変わるのは新しい自分、知らない自分との出会いだから、新しい人生のためにもチャンスじゃないでしょうか。以前の仕事はキッパリと忘れてしまった方がいいです。一生に二つの仕事ができるのは最高の生き方ではないでしょうか。うらやましいと思います。以前の生き方の延長なんて考えないで、赤ん坊になったつもりで、かつての名誉、地位、など全て捨てて、名なしの権兵衛になって生きられるじゃないですか。以前の人生や生き方の尾てい骨なんて不必要です。

 目的を持ったり、結果を考えたり、何々のため、なんて不必要です。面白いこと、したいことを損得考えないでやれるチャンス到来と考えてはどうでしょう。実は僕のような画家は、いつもこのようなことを考えているのです。社会のため、人のためというような大義名分もいいですが、何の制約も受けない、自由な身になったんですから、嫌なことはしない、その代わりに好きなことだけをする。これをやったら何ぼのもんになるんやろ、とそんなケチなことは考えてはいけません。画家はお金にならない絵ばかり描いているから面白く、愉しいのです。ですから、芸術家になれるチャンスです。芸術なんてむつかしいことは考えなくていいです。常識や型にはまったことからはみだした、何の基準もない、変なことを考えたりすることが芸術です。人間は生まれながらに全員、芸術家です。それが社会と関わり過ぎて、その存在を忘れてしまい、やっと高齢者になって芸術意識にウスウス気がつくのです。

 高齢者イコール芸術家であると、このくらい厚かましい考え方を持って下さい。すると病気のことは忘れて、気がつけば延命しています。そうなると今考えておられる孤独なんか、ナンノコッチャです。孤独ほど楽しい生き方はないでェという考えに到達します。孤独に悩むのは、妙な目的や結果ばかり考えるからです。その程度の孤独はチョロイもんです。本格的な孤独を手に入れると、ヘェー、こんな素晴らしい世界があったんか、と思うほど孤独が最高の生き方であることを教えてくれます。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年9月23・30日合併号

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