彼の素顔を直で見た人は本当に少ないんじゃないかな。実際はメキシコ系の男前な顔だったよ。なんで知っているかって? 彼は晩年、俺が東京・世田谷でやっていた寿司屋「鮨處 しま田」に素顔で来てくれたんだ! メキシコ人は日本人と顔立ちが似ているから、店にいたお客さんは誰も気が付いていなかったよ。まさか、あのミル・マスカラスが素顔で寿司を食べているとは思わなかっただろうね(笑)。
俺の名前に話を戻すが、天龍という四股名はもともと、出羽海部屋で活躍した天竜さんからお借りした名前。二所ノ関部屋の親方、佐賀ノ花さんが現役の頃の天竜さんを知っていて、自分の弟子につけたいとお願いしてつけさせてもらったんだ。二所ノ関部屋は大麒麟や麒麟児、大蛇川、そして天龍と幻の生き物からとった四股名が多いから「二所ノ関動物園」なんて呼ばれたりもした(笑)。
天龍の名前を使わせてもらうときのことは今でも覚えているよ。天竜さんは当時、相撲解説をしていて、毒舌で、相撲協会にも堂々とモノ申す人。現役時代は協会相手に「春秋園事件」と呼ばれるストライキを起こしたり、一本筋が通っていて骨があり、とても厳しい人で、ちょっと近寄りがたい存在だった。
名前を使わせてもらうお許しが出たとき、天竜さんと、その仲間でいつも砂かぶり席に座っている「溜会」の人たちが勢ぞろいした宴席に呼ばれて「絶対に、この名前を汚すなよ!!」とガツンと念を押されたんだよね。20歳そこそこのあんちゃんだった俺は、すごい面子に囲まれてすっかり緊張してしまって、飯も酒も全然おいしく感じなかった。そんなこともあって、天竜さんが作った中華料理店「銀座天龍」には、いまだに緊張して行けないんだよ(苦笑)。
天竜さんがそこまでして「名前を汚すな」と念を押したのは、この四股名が明治時代に横綱・梅ヶ谷さんと共に“梅常陸”で人気を博した横綱・常陸山さんがつけてくれたものだからなんだ。そんな大切な四股名だからこそ、そこらのチンピラに使ってほしくないという思いが強かっただろうし、俺も絶対にこの名を汚してはならないと心に決めていた。そんなこともあって、プロレスに転向するときは、本名の嶋田でやるつもりでいたんだ。