当時はジャイアント馬場さんをはじめ、アントニオ猪木さん、ジャンボ鶴田、ロッキー羽田、ラッシャー木村、ストロング小林とカタカナ+漢字のリングネームが多かったから、俺もジャングル嶋田とかジャグジー嶋田みたいな名前になっていたかもね。そうしたら、全然違うタイプのレスラーになっていただろう(笑)。

 でも、馬場さんは「絶対に大成しますから」と天龍の名前をプロレスでも使わせてもらえるよう、天竜さんに掛け合ってくれたんだ。そのときに馬場さんと天竜さんの間に入ってくれたのが、日本プロレスにいた九州山さんという、出羽海部屋出身の人。この人が何度断られても天竜さんのもとに足を運んで説得してくれて、ようやく許しがもらえた。このときも「絶対に、名前を汚すなよ!!」と二度目の念押しをされたよ。

 それくらい、相撲は名前ひとつとっても伝統や代々受け継いでいるものを大切にしているし、四股名はこれまで名乗っていた人の責任も背負うからね。その歴史をひっくり返したり、泥を塗ったりできないという責任感も出てくる。相撲はプロレスと歴史も重みもまったく違うから、天竜さんも本心は「二所ノ関部屋の訳の分からない奴が名乗った上に、プロレスラーになって、冗談じゃない!」と思っていたはずだ。

 本当にプロレスでも使うことをよく許してくれたと思う。まぁ、今になって正直なことを言うと、プロレスデビュー当初は、みんなカタカナ+漢字のリングネームの中、俺だけジジ臭い名前でカッコ悪いなと思っていたこともある(苦笑)。そんな俺を救ってくれたのが“長州力”だ! いやあ、彼の名前を見たときはホッとしたよ。「この人も古風な名前でかわいそうに」って(笑)。長州のブレイクで俺もずいぶん救われたもんだ。

 本来、天龍の四股名は出羽海部屋に名前をお返しするのが筋なんだ。本当はプロレスを引退したらお返しするつもりだったが、俺の通り名になっていて、引退後も天龍源一郎で活動しているもんで、今でも使わせてもらっている。お返しするのは俺の活動の場が無くなってからか、死んでからになるだろうなぁ……。

 俺が使わせてもらっているうちは、相撲の四股名でも使えないからね。本当は使ってもいいんだろうだけど、出羽海部屋も義理立ててくれている。だから、天龍プロジェクトの最後の仕事は、出羽海部屋に天龍の四股名をお返しすることだ。最近になって自分でもようやく「天龍の名前を汚さないでやってこられたかな」と思えるようになった。名前をお返ししたとき、天国の天竜さんに怒られないで済むといいが……大丈夫だろうか? やっぱり緊張するね!(笑)

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

[AERA最新号はこちら]