――じつは歌の才能があったんじゃないですか。
歌のお話には続きがあって、そのあと、原宿で生バンドで歌うコンテストがあって、そこでも最後の5人に残ったんです。1番ならデビューできたのですが、そこまではいけませんでした。でも、そこに来ていた芸能事務所の方からお手伝いしませんかと声をかけられて、女の子のスカウトをすることに。どんどん女の子をスカウトできるので、「キミ、すごくスカウトできるね」とそっちの方を褒められて(笑)。これは違うと事務所をやめました。そして、求人募集をしていた梅沢富美男劇団に入ったんです。
――梅沢富美男劇団ではどんなことをされたのですか。
「バイトしながらやりたい」と話したら、「うちはバイト禁止だ」と言われ、どうやって食べていこうかと思っていたら、求人広告に「月給制15万円」としっかり書いてあるということでした。それでよかったとホッとしたことを覚えています。最初は獅子舞や長崎くんちに出てくるような大きな龍を操る役目だったのですが、それがうまくできなかった。「お前、もういい」とお役御免になったら、いきなりテープを渡されて、この歌を歌えと。それがチェッカーズの「ジュリアにハートブレイク」でした。こっちの方が絶対いいと喜んで、梅沢富美男さんが出てくるときに歌うというものでした。大阪の仲座で1カ月公演で、よく考えたら大抜擢でしたね。
――やっぱり歌の才能があったんですね。劇団でもっと大きな役をもらうようにになりましたか。
それが、梅沢さんから「CDを出してみようか」と言われたとき、ビビっちゃったんですよ。いいのかな~って。梅沢さんのところにいるのもいいけど、僕はここで一生終わってしまうのかなと。それでやめることにしました。「お前そんな簡単にやめるんじゃない」と梅沢さんに引き止められましたけどね。ある番組で俳優としての活動を梅沢さんが褒めてくれたみたいですが、団員のときは全く使えないやつと怒られてばかりでした。