(C)Tokuko Ushioda, Courtesy PGI
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「それで、潮田さんに電話して、学校に会いに行ったんです。そうしたら、若い助手の人が出てきたんですよ。ちょっとかわいいし、私の好みなので、どこかでゆっくりしませんか、って誘ったら、その人が潮田さんだった。そのことには後で気づくんだけど」と、島尾さんは言う。

「でも、なぜ、本人と気づかなかったんですか?」と、たずねると、「だって、私より8つも年上なんだから、こんなにルックスが若い姉ちゃんとは思わなかった」と説明する。その横で潮田さんが「話半分に聞いてくださいよ」とささやく。

「それから、もう私、この人の体に夢中になっちゃって。すぐに子どもができちゃった」(島尾さん)

 展示作品は78年秋、生まれたばかりの長女、真帆ちゃんを島尾さんが産院から連れて帰るところから始まる。

「まだ、抱き方がぎこちなくって」と、潮田さんは言うのだが、その姿は、赤ん坊というより、丸太を担いでいるように見え、くすっと笑ってしまう。

(C)Tokuko Ushioda, Courtesy PGI
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■明治建築の洋館に住む

 3人が暮らし始めたのは潮田さんの実家に近くにあった共同住宅。

「昔から気になっていた家があって、大家さんに聞いてみたら、『ちょうど昨日、空きました』って、言われたものですから、島尾といっしょに見に行ったんです。そうしたら、いっぺんに気に入ってしまって」

 そこは「旧尾崎行雄邸」として知られる洋館だった。「憲政の神様」と呼ばれた尾崎が1907(明治40)年ごろ、港区笄(こうがい)町(現西麻布)に建てたもので、昭和初期に東京都世田谷区・豪徳寺のすぐ北側に移築された。

 新しい生活を始めた当時、1階に大家が住み、2階には4~5世帯が1部屋ごとに暮していた。

「天井は3メートル以上あって、真四角の、さいころみたいな部屋でした。大きな窓からはお寺の森の景色が見えて、とてもゆったりした気持ちになれた。冬は日差しが部屋のいちばん奥まで入って、暖かかった」

 潮田さんはテーブルの上に並べた写真に目を向けながら、「この部屋だったから、こんなにたくさん撮ったのかもしれない」と、振り返る。

「生活が進んでいくと、物がいっぱい散らかるわけですよ。そうすると、『こんな物があるんだ』という感じで写真を写した。だから、『作品を撮る』という意識はぜんぜんなかった。私にとって、写真を撮るっていうのは、習い性というか、くせみたいなものだったんです。だから、何か気持ちが向いたところにレンズを向けた」

 写真に写るのは、食事を終えた皿や、衣類の山、使い古したガスコンロ、そして夫や娘の姿など、たわいもない日常の断片。しかし、いまでは当たり前のように撮られている写真を40年も前に潮田さんが撮影していたことを知り、新鮮な驚きを覚えた。

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夫婦で同じ部屋の中を写した