大型のピンホールカメラで写すにはかなり長い露出時間が必要となる。そのため、露光中に風を受け、もともと不鮮明な画像がブレてしまい、どうしようもない絵になってしまった。さらに、フィルム代や現像代がかかることも問題だった。
「これじゃあ、撮影を続けるのは難しい、考え直そう、と思って、撮影を中断した」
しばらくして、思いついたのは、簡易的なピンホールカメラを自作し、写すことだった。
「カメラボディーにつけるキャップの真ん中に穴を開け、そこに薄い銅板を張り、さらに銅板に小さな穴を開ける。それを手持ちの一眼レフに装着すると、ピンホールカメラが出来上がった」
自作のピンホールカメラで撮り始めると、ようやく満足いく結果が得られるようになった。
■「苔むす」という日本人の自然観
それから撮影は順調に進んだ一方、長年育った緑が削りとられ、更地となった山の裏手が気になった。残土や産業廃棄物が撤去され、終末処理場が建設されようとしていた。
「更地になった地面を見て、結構、感傷的な気分になったんです。それで、なくなってしまった自然がよみがえったらいいな、と思って、撮った写真を地面に投影して、写し始めた」
真夜中にモバイルプロジェクターを持って現地を訪れ、撮影した画像を更地となった地面に投影し、それをさらに撮影した。
最初、雑木林の木々と砂利が重なったような作品を見たとき、それはパソコンを使って合成したものと思ったのだが、実は「ものすごくアナログな手法です」。
作品タイトルの「Physis」は古代ギリシャ哲学に由来する言葉で、自然の概念を表す。
斎藤さんによれば、日本語にも似たような「ムスヒ」という古い言葉があり、漢字では「産巣日」(古事記)、「産霊」(日本書紀)などと表記される。
「いまでも『苔むす』という言葉がありますが、自然というのは、ほっておけば勝手に、湧き出るように生成される。昔の日本人はそんな自然感を持っていたと思うんです」
自然とは何か? ふだん目に映る木々だけではなく、想像力を膨らませることで、その根底にあるものにも目を向けてほしいという。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】齊藤小弥太写真展「Physis」
エプサイトギャラリー(東京・丸の内) 1月29日~2月10日