巨人・中島宏之(左)とヤクルト・内川聖一(写真提供・読売ジャイアンツ/東京ヤクルトスワローズ)
巨人・中島宏之(左)とヤクルト・内川聖一(写真提供・読売ジャイアンツ/東京ヤクルトスワローズ)
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 中島宏之(巨人)と内川聖一(ヤクルト)。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 今年“不惑”の40歳を迎える2人は、年齢的な衰えはあるだろうが打撃の技術はいまだ健在。ともにベテランとして“効果的”な役割が期待されている。

 今季で巨人移籍4年目の中島は今ではチームに欠かせない存在だ。移籍1年目となった19年には43試合の出場で打率.148、1本塁打、5打点とオフに戦力外もささやかれたが、翌20年に復活。コロナ禍の中で100試合に出場し、打率.297、7本塁打、29打点と結果を残すと、昨シーズンも開幕直後に新型コロナウイルスの陽性判定を受けての離脱もあったが、打率.271、6本塁打、26打点をマーク。また得点圏打率は.385と勝負強さも発揮した。

「バットコントロールがうまく右打者ながら(西武時代の)09年には最多安打をマークしています。その後はメジャー挑戦を考えパワーを重視、ウエイトなどで身体を大きくして柔軟な打撃を失いつつあった。帰国後はプレースタイルの試行錯誤の状態が続いていたようでした。巨人1年目に大きく低迷したことで腹をくくれたのではないでしょうか」(西武時代から中島を知るスポーツ紙記者)

 中島は西武時代に打率3割以上を6度マークするなど、球界を代表する強打者として活躍。13年から移籍したMLBのアスレチックスではメジャーに昇格できずに苦しみ、15年からNPBのオリックスに復帰した。オリックスでは17年に打率.285(リーグ7位)、出塁率.360(同8位)で十傑入りするなど結果も残したが、18年のオフに年俸の折り合いがつかず退団となった。

「オリックス時代は本人的には手応えを掴んでいた中、野球協約上の減額制限を超える減俸を提示され移籍を決意した。(移籍先の)巨人ではリーグは違えど自信はあったようですが1年目に完全に鼻を折られた。本人も自信を失い一時はかなり落ち込んだようです。グラウンド上では気の強さが目立ちますが本来は素直な性格。自分の立ち位置を客観的に分析、反省して打撃スタイルを変えることを受け入れた。2000本へのこだわりも強いですからね」(巨人担当記者)

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中島は復活したが、内川は…