悲願の金メダル獲得を目指す北京五輪のノルディックスキー・ ジャンプ女子の高梨沙羅。その高梨と幼馴染だったのが社会人野球のハナマウイでプレーする大友潤。創部2年で都市対抗野球出場を果たした話題チームの中心選手は、同じアスリートとしてジャンプの女王から常に刺激を受けてきた。
【写真】驚くほど大人の表情に…蜷川実花撮影でAERAの表紙を飾った高梨沙羅
「普段は沙羅って気軽に呼んでいます。でも五輪で多くの情報を目にするとアスリートとして尊敬の気持ちがどんどん大きくなる。高梨さんって呼ばないといけないですね」
笑顔で語り始めてくれたが同じアスリートとしてのライバル心も時折感じさせる。幼少期を知る高梨は世界の舞台に立って国を代表して結果を残した。大友自身もプロ入りの可能性を追いかけ入部したハナマウイでボールを追いかける日々だ。
学生生活は北海道札幌市で過ごした大友が生まれ育ったのは北海道上川郡上川町。小さな町で出会ったのが同い年の高梨沙羅だった。気付いた時には一緒に遊ぶようになり毎日のように北の大地を走り回った。家族ぐるみの付き合いは楽しい記憶として残っている。
「小さな田舎町で町中が知り合いと言ってもいいぐらいでした。年が近い子どもたちで集まり屋外で遊んだ記憶があります。沙羅は身体も小さく口数の少ない女の子らしい感じでした。スポーツをやるようには見えなかったのでジャンプでの大活躍に最初は驚いた部分もありました」
「実家のコンビニ裏にジャンプ台があったのは有名です。子どもが練習できるような小さなものですが当時はお兄さん(寛太氏)が練習に使っていたそうです。僕が一緒に遊んでいた頃は彼女も小さかったですしジャンプには興味を持っていなかった感じでした。お兄さんの姿を見てジャンプを始めたのでしょうね」
高梨の活躍とともに実家がセブンイレブン経営をしていることが話題となり本人もCM出演を果たす。昔から知っている兄・寛太氏とテレビ共演する姿も目にした。上川町での日々を知る大友はそんな2人を見て懐かしさが込み上げ、同時に笑ってしまったとも語る。