
声をあげた側は、影響力をもつ性教育サイトで素股を避妊法の一つとして教えることの問題を語った。それに対し、肯定者らは、「正しいことだけ言っていても子どもたちを救えない。具体的な知識が必要なのだ」とトーンを強め、その議論は平行線をたどっている。また批判者に対し「性産業を差別している」というレッテル貼りも起きて(実際に批判者の中には性産業従事者であることを公表している人もいるにもかかわらず)、批判の声のほうが塞がれつつある。性教育サイトは当初なかった医師のコメントで、コンドームの必要性を追記したりなどしたが、安全な素股を効果的な避妊法として紹介する姿勢はそのままだ。
中学生の頃の自分を思い出した。「エイズ」のことを知りたいと先生に聞いた私は、「中学生は素股のことなど知る必要はありません」という大人をうざく思うだろうか。または涼しい顔をして、「正しいこと言っても救われないから、私たちは間違っていようがなんだろうが、現実に起きていることをキッチリ具体的に教えますよ。女の子たち、男に主導権渡さないための体位を覚えなさい」と語る大人を信用するのだろうか。
わかるのは、昔も今も、性教育を学んでこなかった大人たち自身が、性教育を伝える言葉も技術も実はほぼ持っていないという事実だ。
今、私はオーストラリアで出版された子ども向け性教育本を訳している。キスやセックスなどの親密な行為をする時、相手と同意をとりながら前に歩んでいくための具体的な方法が記されている、「同意」に関する技術本だ。好きな相手の求めを拒絶するのは難しいが、それでも同意を確認することで得られるのは、相手への信頼だけではなく、自分自身への信頼であることも強調される。相手がすごく望んでいるから、相手のほうが権威があるから、相手がお金を払ったから、という理由で自分の同意をおろそかにしない技術を磨き、自分の同意が尊重されてこそ、性暴力のないセックスを楽しめることが「性教育」として記されている。 訳しながら、こういう本を中学生の時に読めていたら……と何度も何度も思った。