撮影:米田堅持
撮影:米田堅持

 転覆船や沈没船に取り残された人の救助などを行う潜水士は全国に約120人。潜水士になるには、北海道の第1管区から沖縄県の第11管区まで、所属管区の選考会をくぐり抜け、海上保安大学校(広島県呉市)で厳しい訓練を受けなければならない。

 さらに現場で経験を積んだ潜水士のなかから、特救隊に従事する機会が与えられるのは、本人の希望と優れた適性を持つごく一握りの人間だけだ。

■100キロ行軍は撮る側も大変

 全国から選抜された潜水士は特救隊の新人隊として配属され、約9カ月間、潜水訓練やレンジャー訓練などの研修を受け、特救隊員として必要な技術や体力、精神力を養う。

「彼らは『ひよこ隊』なんて呼ばれるんですけれど、ふつうの潜水士より能力はずっと高いんです。でも、本チャンの特救隊員と比べると、まるで違う。泳ぎの速さから、装備を身に着けたままプールから上がるときのスピード、制服の着脱の手際すら違うんです」

 米田さんの作品には、はしごのような器具を担いで立ち泳ぎする隊員たちの姿が写る。

「新人隊はこういうきつい訓練をほぼ毎日のようにやっています」

 その仕上げとなる訓練が「100キロ行軍」。神奈川県・三浦半島の観音埼灯台を出発し、横浜市をぐるりとまわり、羽田の救難基地に戻ってくる。米田さんはその姿をバイクと自転車で追ったが、「大変でしたよ」。

 これが終了すると、晴れて正式な特救隊員として認められ、その証である「オレンジベレー」が基地長から貸与される。

撮影:米田堅持
撮影:米田堅持

 主な撮影地は羽田特殊救難基地と横浜海上防災基地。ほか、栃木県・奥日光の湯ノ湖での寒冷地潜水訓練、東京湾・第2海堡(かいほ)での消火訓練などにも同行した。

 その作品「特救 オレンジの頂点」が2月10日から東京・四谷のポートレートギャラリーに展示される。

■ドタキャンでもあえて理由は聞かない

 米田さんは20年以上、海上保安官の姿をさまざまな角度から追い、「1000トン型巡視船を追った日々」「海上保安学校の日々」「海上保安庁 主計の世界 船飯の舞台裏」などの作品を発表してきた。

 そんな米田さんがこれまで海難救助の精鋭である特救隊を撮らなかった理由をたずねると、「先輩の写真家が撮影してきたので、特救隊にはあえて踏み込まなかった」と言う。

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