そして、印象に残ると言えば、原田雅彦選手の「船木~」。猛吹雪の悪天候の中でのジャンプ団体で、自身のジャンプを終えた原田雅彦選手は、次に飛ぶ船木和喜選手に対して声援を送った。寒さのせいなのか、または祈るような気持ちだったのか……絞り出した声が「ふなき……ふなきい~~」だった。
「長野オリンピックのスキージャンプ団体が印象深いです、原田選手の“舩木~”が残っています。また、あのジャンプ台の下に引いてある人工芝をオリンピック前に搬入したのも思い出です」(埼玉・50代男性)
「長野オリンピック、スキージャンプの原田選手の涙が印象に残っています」(福岡・40代男性)
冬季の五輪で日本人選手を語る上で欠かせない名場面となっている。
■長野銅メダリスト岡崎朋美さんが語る名場面
そんな、長野五輪で、スピードスケート女子500メートル銅メダリスト岡崎朋美さんに印象に残るシーンを聞いた。
「私は1994年のリレハンメル大会(ノルウェー)に初出場したんですけど、スピードスケート男子でダン・ジャンセン選手が500メートルで金メダル大本命だったのに、カーブでバランスを崩して金メダルを逃してしまった。その直後、間近で見ていたのですが、本人もご家族も崩れ落ちていて、悲壮感あふれてました。しかし、そのダン・ジャンセン選手が、次の種目1000メートルで金メダル大本命のベラルーシのイーゴリ・ゼレゾフスキー選手を破り、優勝したんです。悲願の金メダルをとって、当時生まれたばかりで会場に来ていたお子さんを抱いてウイニングランをしたんです。それは、本当に感動しました。初出場で、アスリートたちの生き様を目の当たりにしました。外国人選手の迫力あり過ぎるストーリー。ダン・ジャンセン選手はリレハンメル五輪まで、ワールドカップは何回も優勝していたのに、“金メダル大本命のところでつまずいてしまうんだ!”と思った。ダン・ジャンセン選手は、とても優しい人なので、色々なプレッシャーがあったのではないかと思います。ワールドカップでは何回も優勝する選手でも大きなプレッシャーなどでそういう精神状態になるだろうなと、とても勉強になりました。私は長野五輪で金メダルでなく3番(銅メダル)だったんですけど、真似して子どもを抱いて、競技後にコースを周りました(笑)」
記録やメダルではなく、リレハンメル大会でのダン・ジャンセン選手の逆転劇のようなひとつひとつの場面が、岡崎朋美さんは思い出に残っているという。