日本ハム時代のダルビッシュ有
日本ハム時代のダルビッシュ有
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 昨年同様、コロナ禍が続くなか、2月1日にスタートしたプロ野球の春季キャンプもいよいよ大詰め。期待の新人選手も希望に胸を膨らませながら、日々練習に励んでいるはずだが、過去にはルーキー時代のキャンプで思わぬ悲劇に見舞われた選手もいる。

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 キャンプ中のケガが原因で、新人王をフイにしたばかりでなく、選手生命まで縮めてしまったのが、現役引退後、6球団でコーチを歴任し、“伝説の打撃コーチ”と呼ばれた高畠導宏だ。

 1968年、ドラフト5位で南海入りした高畠は、入団発表の席で「短距離打者になる気はない。ノンプロ(日鉱日立)の4番に恥じないだけの働きをしなければ。目標はズバリ野村(克也)さんです」と大きな夢を語った。

 キャンプ地の広島・二河球場でも、打撃練習で右へ左へ鋭いライナーを飛ばし、早くも「新人王当確」の声が聞かれた。鶴岡一人監督も「高畠のこれまでの実績から考えて、すぐ戦力になることは間違いない」と期待した。

 ところが、2月下旬、スライディングの練習中に左肩を脱臼したことが、野球人生を暗転させる。

 今なら手術が必要と思われる状態にもかかわらず、周囲の期待に応えようと無理を重ねた結果、肩は日に日に悪化し、ついにはキャッチボールもままならなくなった。スポーツ医学が発達していない時代の悲劇である。

 1、2年目ともに打率1割台で終わったあと、3年目から主に代打の切り札として2年連続3割をマークしたが、その後、故障のさらなる悪化により、わずか5年で現役を引退した。

 だが、28歳でコーチに就任すると、南海を振り出しに、ロッテヤクルト、ダイエー、中日オリックス、02年から再びロッテと30年間にわたって“陰の力”としてチームに大きく貢献。落合博満、西村徳文、小久保裕紀ら多くの選手の才能を開花させた。

 プロ1年目で大きな挫折を経験しながら、「氣力」(あきらめない気持ち)を座右の銘に、不断の努力の末、指導者として名を成した真摯な生き様は、08年にテレビドラマ化され、野球ファンのみならず、多くの人々に勇気を与えた。

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突然プロ野球選手の資格を失った選手も…