キャンプ中、プロ野球選手の資格を剥奪される悲劇に泣いたのが、90年の西武・小島弘務だ。

 同年2月20日。高知の2軍キャンプに参加していた小島は、野球協約違反を理由に突然契約を破棄されてしまう。

 前年12月、西武がダイエーとの争奪戦の末、住友金属の最速146キロ右腕・小島をドラフト外で入団させたことが、すべての始まりだった。

 ところが、この契約は、野球協約に反するものだった。駒大を2年で中退し、住友金属に入社した小島は、「平安高卒」として日本野球連盟に登録されたため、ルール上、プロ側は3年間獲得することができない。ドラフトに際しても、小島は獲得禁止選手リストに記載されていた。

 にもかかわらず、西武側は小島を大学中退選手と見なし、「中退から2年後なので獲得可能」と解釈。獲得禁止リストの照合も怠っていた。

 年明け後の1月27日、パ・リーグが日本野球連盟に問い合わせ、獲得禁止選手であることが判明。この時点で契約は無効になったはずだったが、西武は小島を練習生(球団職員)として背番号14を与えてキャンプに参加させたばかりでなく、2月18日の阪神との練習試合にも登板させていた。

 当然のように「こんなことが認められれば、獲得禁止選手を練習生として入団させる球団が続出するかもしれない。これではドラフトの意味がない」の批判が高まり、同28日、パ・リーグは西武に対し、小島の練習生としての保有を却下し、将来も契約を禁止する処分を科した。

 突然ハシゴを外される形でプロ野球選手の資格を失い、アマ球界にも戻れなくなった小島は「どうすればいいのかわからない」と途方に暮れたが、その後、約9カ月にわたってトレーニングを続け、同年のドラフトで中日が1位指名。今度は正真正銘のプロ野球選手になった。

 1年目のキャンプ中に謹慎処分を受け、本来とは別の意味でプロの厳しさを味わったのが、現パドレスのダルビッシュ有だ。

 ドラ1で日本ハム入りしたダルビッシュは、自主トレ中に右膝を痛めた影響で、2月の沖縄キャンプも2軍スタートとなった。

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ダルビッシュが寮に“強制送還”となった理由は?