友愛会病院の院長、鈴木智(すずきさとし)はかつて南海大学皮膚科に所属しており、5年前に訪問診療専門のクリニックを開業した医師だ。友愛会病院は南海大学から電車で20分ほど離れた堺市の商店街の中にあった。病院とは名前がついているものの、一般的なクリニックのように患者を診る診察室は存在しない。七つの机が島(しま)になりそれぞれデスクトップのパソコンが並んでいる、個人事務所のようなオフィスがあるだけだ。
ぼくはここで毎週9時から17時まで、15軒から20軒ほどの家庭を訪問し、一般内科を含め皮膚疾患を診察するバイトを医局長から任されていた。
薄くなった頭をポリポリかきながら鈴木は体を近づけてくる。
「工藤先生、今日は加藤さんのおうちに行ってほしいんだけど」
鈴木とはじめて会ったときに感じた違和感はこの距離感の近さだ。ニコニコしながらも不躾(ぶしつけ)に他人のパーソナルスペースに侵入してくる。
「背中とかお尻に見たことない発疹ができてるんだよね。とても面白いよ」
たぶんこの人は人間に興味はない。純粋に病気が好きで、その病気が何であって体の中で何が起きているか知りたいだけで医者を続けている。
「鈴木先生が見たことない発疹をぼくがわかる気がしませんよ」
鈴木の行動を興味深く観察しながらも、ぼくは謙遜して答えた。
「いやいや、私なんか皮膚科3年しかやってないから知らない病気だらけだよ」
まぁ、見ればなんとかなるだろう。
訪問診療は看護師とチームになって病院の車で各家庭を回るのが友愛会のルールだ。ただ、ぼくの場合、車の運転ができない。研修医時代に救急救命科をローテートし、交通外傷の患者たちを診すぎたせいで車を運転するのがとても怖くなってしまったからだ。いつ他人を傷つけてもおかしくはない走る凶器。それがぼくの車に対する認識だ。
「運転ができない工藤先生には運転手さんをつけてあげるね」
一緒に訪問診療を回る看護師の遠藤優美(えんどうまさみ)は、とても美しい黒髪の女性であった。大学の看護学科を卒業後、すぐに友愛会に勤務したらしい。年齢はたぶん30手前くらい。たぶんというのは、ぼくも遠藤のことを詳しく知らないからだ。どうしてこんな綺麗で若い女性が「変な病院」で働いているのか。