文京区江戸川町(現・文京区水道)の三昇ビルから俯瞰した白鳥橋の都電風景。橋上と道路上の敷石形態の相違が一目瞭然だ。大曲(撮影/諸河久:1968年9月28日)
文京区江戸川町(現・文京区水道)の三昇ビルから俯瞰した白鳥橋の都電風景。橋上と道路上の敷石形態の相違が一目瞭然だ。大曲(撮影/諸河久:1968年9月28日)

 写真の2018は杉並線から改軌改造を経て三田車庫に転属し、さらに早稲田車庫に移っている。この撮影から一年後の1969年8月に廃車されたが、車齢が13年と若かったのも幸いして、長崎電気軌道に譲渡され、同社701として西国の地で復活を果たしている。

急峻な安藤坂に挑む39系統の都電

 大曲停留所を発車すると次の伝通院前停留所までの距離は552mあり、39系統の停留所間隔の中で一番長い区間に該当する。地形的には神田川畔から小日向台地の尾根に登坂することとなり、途中298mの区間で最急66.67パーミルの「安藤坂」上り勾配が待ち受けている。

大曲を後にして小日向台地の尾根に位置する伝通院前に走り去る39系統厩橋行きの都電。画面奥の左カーブの先から最急66.67パーミルの安藤坂に挑むことになる。大曲~伝通院前(撮影/諸河久:1968年9月28日)
大曲を後にして小日向台地の尾根に位置する伝通院前に走り去る39系統厩橋行きの都電。画面奥の左カーブの先から最急66.67パーミルの安藤坂に挑むことになる。大曲~伝通院前(撮影/諸河久:1968年9月28日)

 最後のカットが伝通院前に向けて力走する39系統厩橋行きで、筆者にとって都電2000型の告別の一枚となった。画面奥のカーブを左に切ると、いよいよ急峻な安藤坂が始まる。この坂の左側一帯に、かつて安藤飛騨守の上屋敷があったことが「安藤坂」の由来になっている。対面する右側には文京区立第三中学校があり、ここが往年の三井家の邸宅跡である。安藤坂の近隣には文豪・永井荷風(1879~1959)の生家もあり、著書『断腸亭日乗』には、1945年の戦災で件の三井家邸宅や自身が生まれ育った家屋も焼尽したことを綴っている。

■撮影:1968年9月28日

AERAオンライン限定記事

著者プロフィールを見る
諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

諸河久の記事一覧はこちら