白鳥橋上の大曲停留所で乗車中扱い中の39系統厩橋行き。画面手前の橋上敷石は他に例を見ない形態をしていた。(撮影/諸河久:1968年9月28日)
白鳥橋上の大曲停留所で乗車中扱い中の39系統厩橋行き。画面手前の橋上敷石は他に例を見ない形態をしていた。(撮影/諸河久:1968年9月28日)
2020年に出土したお茶の水橋上の旧錦町線軌道跡。奇しくも白鳥橋上の敷石と同形態をしていた。(撮影/諸河久:2020年1月29日)
2020年に出土したお茶の水橋上の旧錦町線軌道跡。奇しくも白鳥橋上の敷石と同形態をしていた。(撮影/諸河久:2020年1月29日)

 次のカットは白鳥橋上の大曲停留所で乗降扱中の39系統厩橋行きの都電。自動車交通量が半端ではなかった橋上の停留所には安全地帯が未設置だった。運転最終日らしく、運転台左側にカメラを携行したファンの姿が見える。画面右側後方には1964年に着工された首都高速道路5号線(竹橋~北池袋)の工事事務所と建設中の高架支柱が写っている。この首都高速5号線は1967年に竹橋~西神田が開通し、1969年6月には神田川に蓋をする格好で西神田~護国寺の高架道路が開通している。

 この画面で注目したいのは、都電の手前に写る白鳥橋上軌道敷石の形態だ。溝付きレールの両側に平行した長手の敷石を配置し、軌道間は縦方向に3個と4個の小さい敷石を交互に詰めた様式は、他に例のないものと思いながらシャッターを切った記憶がある。

歴史的発見「お茶の水橋」との共通点

 撮影から半世紀の歳月が流れ、このネガフィルムを初めてモノクロデータにして驚愕を覚えた。それは2020年にお茶の水橋補修工事で出土した旧錦町線の軌道敷石と同じ形態だったことだ。出土したお茶の水橋上の軌道写真も再掲するので、こちらと対比してほしい。

 ちなみに、お茶の水橋が震災復興事業で架け替えられたのは1931年だった。同じ神田川に架かる白鳥橋も1923年9月1日の関東大震災で何らかの被害を免れなかった筈だ。関連資料に乏しいので断定できないが、白鳥橋もお茶の水橋と同時期に架け替えられたのか、あるいは、橋上軌道修復工事の施工により双方が同一形態の敷石になったのでは、と推察している。

白鳥橋の都電風景を俯瞰撮影

 運転最終日のこの日、白鳥橋の東詰の角地に所在する三昇ビルの屋上にお邪魔した。そこは白鳥橋の都電風景を俯瞰できる絶好の撮影地だった。屋上から大曲停留所を狙ったのが次のカットで、39系統厩橋行きに充当された2000型の乗車シーンが眼下に展開した。前述の白鳥橋上の敷石と画面左手前の道路上の敷石との形態の違いが如実にわかる一コマとなった。

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都電を待ち受けるキツい上り勾配!