また、12年に来日し、西武オリックスで計4年間プレーしたエステバン・ヘルマンは、前出の「Ge」のスペイン語読みで、スペルは「German」なのに「ハーマン」、西武入団後は「ヘルマン」の登録名になった。

 スペイン語読みといえば、07年に阪神入りしたドミニカ出身の右腕、エステバン・ジャンも、「Yan」のスペルで「ジャン」と読ませていた。

 これも「Y」をどの母音でも「ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョ」(地域によっては「Ya」を「リャ」と読むケースもある)と発音するスペイン語読みの法則からだが、MLB時代は英語読みで「ヤン」、または「ヤーン」だったというから、ややこしい。

 阪神時代は6勝5敗、防御率4.66とイマイチの成績に終わり、たった1年で日本を去ったが、シーズン12ボークのNPB記録は、今も破られていない。

 スペルは英語読みのとおりなのに、球団側の意向で別の登録名になったケースもある。

 82年に中日入りしたケン・モッカは、「Macha」のスペルで「マッカ」に近い発音だったが、「真っ赤」と呼ばれることを嫌った球団側が本人の了解を取って「モッカ」と読ませた。

 83年に阪神入りしたランディ・バースも、「Bass」のスペルのとおり、本来は「バス」と発音するのに、親会社の阪神電鉄が当時阪神バスも直営事業だったことから、故障時に「阪神バス故障」、不調時に「阪神バス急ブレーキ」などと揶揄されることを懸念して、「バース」と音を伸ばして読ませた。

 モッカもバースも優勝に貢献する活躍を見せたので、結果的に“改名”は吉と出た。

 ちなみに阪神は、62年シーズン途中にテスト入団させたジーン・バッキーも、スペルは「Bacque」で「バックエ」(または「バッケエ」)の発音に近かったのを、「化け物のようだ」という理由から、戦前に日本で活躍したバッキー・ハリスにちなんで「バッキー」で登録。これまた64年に29勝を挙げ、リーグ優勝の立役者になった。

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