誰もが自由に意見を言いながら舞台をつくる対等な創作現場を意識する。文化的な支援が圧倒的に少ない日本社会で、持続可能な創作活動のために何ができるか。コロナ禍を通してより絆が深まった(写真=植田真紗美)
誰もが自由に意見を言いながら舞台をつくる対等な創作現場を意識する。文化的な支援が圧倒的に少ない日本社会で、持続可能な創作活動のために何ができるか。コロナ禍を通してより絆が深まった(写真=植田真紗美)

■生後半年も経たないのに 「ママ、どこ?」と話した

「妊娠」という普遍がテーマでありながら、斬新な物語構成は連日口コミやレビューで話題を呼び、客席には10代の姿が目立った。「フェミニズム演劇は多数あるが、これほど繊細な筆はみたことがない」とル・モンドの記者が感心するのを副島は聞いた。たまたま観劇した高校の校長が「演劇を専攻する学生に話してほしい」と千穐楽後に山田を招くこともあった。「贅沢貧乏」パリ初公演は、大成功で終わった。

「贅沢貧乏」は、2012年、山田が大学3年の時に立ちあげた劇団だ。創作に打ち込める贅沢な時間……文字通りの思いを表現した劇団名だが、森茉莉の同名のエッセイのことは知らなかった。卒業後は、都内に一軒家を借り、劇場ではない空間で創作、稽古、上演を行うなど、新しい表現が注目されてきた。17年には「フィクション・シティー」を東京芸術劇場で史上最年少として芸劇eyes単独公演を行い、岸田國士戯曲賞にもノミネートされた。劇団の立ちあげから今にいたるまで、最も注目されている演劇人の一人だ。

 そもそも山田の“芸歴”は長い。引っ込み思案の姉を母が児童劇団に入れていたことから、山田も幼い頃から劇団に入っていた。生後半年も経たないのに「ママ、どこ?」と、文になる言葉を話せ、大人の間に物怖じせずに入っていく度胸があり、自然と光の当たる女の子だった。小学2年生で「レ・ミゼラブル」のリトル・コゼット役をオーディションで勝ち取ったこともある。演じることへの関心が強くあり、演劇活動に力を入れている都立青山高校に入学した。高校2年のときには親戚に勧められ受けたホリプロのタレントスカウトキャラバンで最終の8人に残り、芸能事務所に所属した。創作の場にいたい、演技の場にいたい、いつかキラキラした世界でドラマの主役を張れるような俳優になりたいと願っていた。

 高校3年のときに、高良健吾主演映画「おにいちゃんのハナビ」に出演した。休憩時間にも台本を読み込み、出番のない時は「他の人の演技を観たい」とスタッフにまじりモニターの画面をずっと見ていた。その姿を見た監督に「君は、創る方に向いているかもね」と言われたことが今も嬉しい記憶として残っている。高校卒業後は、映像の実践的な教育を行い、設備が充実している立教大学現代心理学部映像身体学科に進んだ。

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