最初の転機は、芸能事務所を辞めた20歳だった。仕事では清楚(せいそ)で無垢(むく)な良い子を求められ、宣材写真を撮るときは常に白い服を着ていた。痩せなさいと、お弁当を食べるときも揚げ物や炭水化物に手をのばさないようマネージャーの視線を感じる環境は窮屈だったが、期待に応える器用さと真面目さで仕事をしてきた。それでも、大学生活で知った自主映画制作の合宿や、編集室にこもる体験、下北沢の小劇場に通う日常で、「選ばれる」ことが「仕事」だった世界から、自分が面白いものを主体的に選ぶ世界に行こうと思えたのだった。

■チケットノルマを課さず 俳優にギャラを捻出

 その年に書いた一人芝居「スーパーミラー」が、劇作家としての一歩であり、「贅沢貧乏」の立ちあげとなった。世界の床が巨大な鏡になっていて、その向こうにもう一つの世界があるという設定を思いついた夜、溢(あふ)れる言葉が止まらずに一気に1、2時間で書き上げた。

「ねえ、ねえってば、知ってる? わたし、すごいこと聞いちゃったんだよ」「あのね、海の底の話。海の底の、その下がどうなってるかって話」

 コミカルな身振り手振りで、山田が創造した「スーパーミラー」な世界がステージ上で鮮やかに走りだす。観客の想像力が世界の限界を溶かすように広がっていく。自分が面白いと思う世界を力いっぱい表現する山田の熱量に、大学構内の会場は沸いた。芝居が終わると「次はいつやるの?」と声をかけてくる仲間が集まってきたという。2作目「ルート・リンク」からは、劇場を借り、興行公演にも挑戦していく。

 山田の金銭感覚は、理想と現実の優れたバランスで保たれている。赤字にせず1円でも10円でも利益を出すことを自分に課した。劇場を借りると1週間45万円かかる上、本番と同じ環境での稽古が限られるため、どうせならと一軒家を借りた。稽古と本番を同じ場所でできれば、演出にこだわれると考えたのだ。1度に10人の観客しか入れない「劇場」だが、何公演をしたら家賃が払え、俳優にいくら払えるかなど、経済のシステムを考えた。次第に同世代の俳優たちが「贅沢貧乏は面白い」と集まってくるようになった。

 俳優の大竹このみは、大学を卒業して2年目に山田に出会った。好きな演劇のために生活を犠牲にし、俳優自らチケットを売る世界で、チケットノルマを課さず、俳優にギャラを捻出し、アルバイトのシフトを話しあい稽古のスケジュールを決め、「俳優はちゃんとした仕事だからね」と語る山田の「贅沢貧乏」は新しかった。

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