「安倍さんと高市さんが議論しろと言うので“忖度”して勉強会を開いただけ。そもそも、先制攻撃の標的になる核の保管施設を受け入れる地域がどこにあるのか。核共有は政治的・社会的なコストが高く非現実的で、こんな議論をしている時間は今の日本にはない」
日本維新の会も核共有についての議論を政府に求め、松井一郎代表は非核三原則について「議論しないのは無責任」と言っている。だが、防衛政策に通じる議員からの反応は冷ややかだ。
実は、非核三原則は一般にはあまり知られていない事実がある。自民党議員は言う。
「非核三原則は国是だが、法律ではない。有事の時には政府の判断で破棄できる。政治家の決断の障害にはならない」
このことは国会の答弁にも残されている。
民主党政権時代の10年3月17日、衆院外務委員会で岡田克也外相(当時)は、緊急時の核持ち込みについて問われた。岡田氏は、核の一時持ち込みを認めなければ日本の安全が守れない時は「時の政権が、政権の命運をかけて決断をする」と答弁している。当時を振り返り、岡田氏が話す。
「非核三原則という日本の国是に“例外”を設けるということで、当時の鳩山政権の方針に合致しない答弁でした。問題になった場合は辞任するつもりでしたが、意外にも批判の声があがらなかったので、拍子抜けしたのを覚えてます」
この答弁は、1カ月以上前から事前に外務省内で検討し、米国政府にも理解を得たうえでのものだったという。
なぜ、そこまでして岡田氏はこの答弁にこだわったのか。それは、09年9月に外相に就任した時に始めた「核密約」の調査がきっかけだった。
核密約とは、1960年の日米安全保障条約改定時に、核兵器を搭載した米国の艦船や航空機が日本に立ち寄ることについて日米間で認識の不一致があったものだ。非核三原則は67年に佐藤栄作首相(当時)が表明したが、その後の沖縄返還交渉の際にも密約が結ばれていた。岡田氏は言う。
「日米間では、核戦略や核拡大抑止の議論が今でも欠けています。過去にそれができなかったのは、議論を始めると、どうしても密約の壁にぶち当たったからです。私としては、密約を解明し、有事の際の非核三原則の例外をつくることで、議論ができる土壌をつくりたかった。ただ、安倍政権で議論が進まなかったのは残念でした」
(本誌・西岡千史、池田正史)
※週刊朝日 2022年4月8日号より抜粋