林:私が言うとおこがましいですけど、すごく正しいことだと思いますよ。ところで、シェイクスピアって何人かいるという説がありますが、本当なんですか。
松岡:誰かと共作はしてたんじゃないかと思うけど、シェイクスピア別人説には私は与(くみ)しませんね。彼はすごく舞台を知り尽くしている人だというのが、文章から伝わってくるのよ。
林:そうなんですか。
松岡:じつはシェイクスピア作品ってだいたいネタ本があるんですよ。有名な「ロミオとジュリエット」も、内容そのまんまのようなネタ本があるんです。ただ、9カ月ぐらいかかる話を5日間に縮めちゃったり、ネタ本のジュリエットは16歳なんだけど、あと2週間で14歳にしちゃったり、舞台にすることを考えて、圧縮してスピード感を増した話にしてるんです。さらにね、ネタ本では、ジュリエットが飲む薬は水で溶いて飲む粉薬なの。だけど、シェイクスピアのは小瓶に入った水薬でしょ? なぜかというと、舞台のクライマックスに近づくところで、粉薬を水に溶いていたら間抜けだし、小道具もたくさん必要になって負担でしょ? だから、舞台の流れを止めない水薬にしたんだと思うのよ。シェイクスピアは、現場を知っている人ですね。
林:おもしろいですね。松岡さん訳の「ハムレット」の解説によると、有名な「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ(To be, or not to be, that is the question)」というセリフは、主語がないとか。
松岡:そうなんです。構文上は「To be, or not to be」が主語で、「それが問題だ(that is the question)」で「that」で言い直している。でもto beとnot to beの意味上の主語は不明です。
林:そうすると、あのセリフは「自分がどう生きるか」よりも広いことを言ってるんですね。
松岡:そうなんですよ。「存在か無か」みたいなことをしゃべっているうちに自分の生死の問題に入っていくという、ややこしくて困ったセリフなんです。