林:まあ、うれしいです。
松岡:あの小説に出てくる「おおさわ」さんって、「大沢」じゃなくて「大澤」じゃないですか。原稿は手書きでしょ。お書きになるときは「沢」じゃなくて……。
林:「澤」って書いてます。
松岡:やっぱり。あれを読んだとき、私はそこに注目したの。つまりあの家族は、夫も奥さんも翔太君も、自分の名前を書くときは「大澤」って書くわけでしょ。「大沢」と書かないのは、自分は「こういう家の出なんだ」という気持ちが、みんなどこかにあるんじゃないかと思うんです。たとえば「中島」さんと書いて、「なかしま」さんと読む名字の人は、「なかじま」って呼ばれるとイヤだったり、「島」と「嶋」を間違えるとイヤだと言ったりするじゃないですか。漢字ひとつに、そういう自意識みたいなものが垣間見える。そんなところまで林さんが考えて登場人物の名前を選んだってことに、感動しちゃったんです。
林:そんなふうに言っていただくなんて……。
松岡:というのはね、シェイクスピアを読んだときに、どうしてこういう倒置法になってるのかとか、この単語はどのフレーズの目的語なのかとか、わからないときがあるわけ。それで私、ある時期から原文を手書きし始めたんです。
林:ほぉ~、原文を手書きに。
松岡:反故紙をたくさん集めておいて、原文が倒置法になっていたら、それを主語、述語の順序に直して書いて、修飾のフレーズがあったらそれをはずして書いて。シェイクスピアよりもたくさん原文を書いてるんじゃないかと思うぐらい書くんです。
林:まあ……。
松岡:シェイクスピアが羽根ペンにインクをつけて手で書いたときに、おそらく頭で考えたことが手に流れていったんだろうと思ったのよ。林さんもそう?
林:私、機械を介在できないんですよ。頭で考えたことを手で動かしていくという作業じゃないとダメなんです。
松岡:やっぱり。じゃ、私が原文を書いてシェイクスピアに少しでも近づこうと思ってたのは、間違いじゃないわけね。