作家・画家の大宮エリーさんの新連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんだろうと考えます。ゲストは解剖学者の養老孟司さんです。
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大宮:先生は東大の同級生と今でも友達ですか?
養老:もう死んじゃって、あんまりいませんね。
大宮:もともと話が合うな、とか?
養老:友達も東大出身にこだわっていませんよ。どうして物差しを一本にするのかなと思う。
大宮:どうしてですかね。
養老:ラクだからでしょ。
大宮:腑(ふ)に落ちました。
養老:僕は「ともあろうものが」がつくところには行くなって思っているんです。「東大生ともあろうものが」とかね。世間に固まった常識があって、そこから外れると、「ともあろうものが」になる。
大宮:窮屈なことが結構ありますね。
養老:世間が勝手に作っているイメージでね、そんなものに合わせなければいけない理由はどこにもないんですけど。
大宮:やっぱり、東大っていう物差しで見られちゃう。私の場合は「なのに、こう」でした。「東大なのに、スキューバダイビングのインストラクターやっているのか」「薬学部なのに、薬剤師の国家試験さぼるのか」っていわれるのが嫌だったり。あとは、東大生はすごく頭がいいと思われちゃうけど、私、クイズができないんで。バイアスがかかるのが嫌で(東大卒を)伏せていました。東大っぽくないって言われてきましたけど、最近は東大でよかったなっていう気持ちが芽生えてきて。先生、そんなことないですか?
養老:本当のバカではない、と疑いは持たれないですね(笑)。
大宮:先生は以前、東大と社会との塀の上を歩いているとおっしゃっていましたよね。
養老:塀の上を歩くって結構芸がいるんです。中に落ちるとそのシステムに組み込まれちゃうし、外に落ちたら、まったく無関係ですから。塀の上だと中も外もよく見えるんです。
大宮:制限があり、物差しがあるからこそ、物差しを折ってやろうという気概が生まれるんですか。
養老:物差しそのものを吟味するっていうのが大事な作業になるんです。なんでそんな測り方するんだよって。
大宮:中にいるとそういう目が育つってことですよね。
養老:ストレスがあるから、別の世界を持たないといけない。それが僕の場合は虫、自然ですね。東大だけじゃない、全然違う世界。
大宮:ストレスがあるから東大で良かった部分もあるんですね。
養老:そうですね。東大時代はストレスで生きていましたよ。だから本を書く。ストレスがなければ何にも書かなかったですね。
大宮:ロシアのウクライナ侵攻についてはどう思われますか?
養老:19世紀が戻ってきてるなって。よくあんなことをやるよね。
大宮:人間は結局繰り返すんですね。全く成長しないというか。
養老:ぼろぼろになってしまってこのあとが大変でしょ。僕は2038年に起こるともいわれる東南海地震を一番気にしているんですけど、問題は災害の後の復興。元の形に戻すつもりか、みんながこんな生活をしたいという新しい国土観で造るのか。
大宮:東大出身で官僚の人が多いと思うんですけど、そういうことに関して東大は教育してるんでしょうか。
養老:考えていないと思うから僕が言うんでね。具体的に問題を設定しないとなかなか考えないですよね。それでわざわざ地震の話をした。みんながどういう暮らしを望んでいるのか。まじめに考えなきゃいけない時期にきているんじゃないかね。
※AERA 2022年4月25日号