12日午前10時半ごろ。白バイと護衛車が先導するなか、上皇さまと美智子さまが2年にわたり住まいとした東京・高輪の仙洞仮御所を出発した。
「上皇さまー」
「お元気で」
沿道に集まったたくさんの人びとが、おふたりに手を振り、お別れの言葉を口にした。
おふたりは2週間、神奈川県の葉山御用邸に滞在し、26日に赤坂御用地の新しい住まいにお帰りになる。
この日、上皇ご夫妻の出発を見送るためにたくさんの人びとが仮御所の前に集まった。足をかばうように杖を突きながらゆっくりと仮御所に向かう老婦人と横で支えながら歩く夫らしき高齢の男性。上皇さまと同じ昭和8年生まれだと男性はうれしそうに話す。
別の老夫婦は、仮御所の近所の住まいから見送りに来たという。上皇さまが皇居内の研究所に行かれる月曜日と金曜日は「お車で向かうご様子を楽しみにしていた」と。妻の女性はこう話す。
「高松宮妃喜久子さまにご縁があり、逝去の際もこの旧高松宮邸から墓地に向かう喜久子さまをお見送りしました。そして上皇ご夫妻のお住まいとなり、この土地で皇族の方が再び過ごしていただいたことをうれしく思います」
コロナ禍が続いたことで、上皇ご夫妻は極力外出を控えていた。定期的な外出は上皇さまのご研究だが、それも皇居内の研究所だ。
■宮内庁元長官の心配
美智子さまの実家の旧正田邸跡地は、「ねむの木の庭」という東京都品川区が管理する公園になっている。園内は美智子さまが和歌の中で詠んだ樹木や花が、四季折々の表情を見せる。おふたりの仙洞仮御所とは車で5分程度の距離にある。
1、2年に一度は、上皇さまとおふたりで公園を訪れていた。しかし、コロナ禍に配慮したためか、仮御所にお住まいの間は訪れることもなかったという。
ささやかな機会として、かつてお仕えした人びとが仙洞仮御所を訪ねる機会があった。
元宮内庁長官の羽毛田信吾さんは、そのときの様子をこう振り返る。
「上皇職より連絡をいただき、元旦と上皇さまのお誕生日に仙洞仮御所にお招きいただきました。コロナ禍ということもあり飲食などはなく、応接間でごあいさつをいたしました。にこやかな表情でお変わりないようにお見受けしました。ただ、ご高齢であられ、ご体調も常に万全とは言えず心配しております」