その2カ月後には、上皇さまの88歳の誕生日だった。上皇さまがハゼの研究をしていることを園長らは子どもたちに話したことがあった。
「どんなカードを贈りたい?」とたずねると、次々にアイデアが飛び出した。
「おさかなの絵を描きたい」「図鑑を見てハゼの絵にしよう」
5歳の子、6歳の子――。小さな子どもたちは真剣な表情で図鑑を開き、いろいろなハゼの絵を描いた。画用紙で作ったお手製のカードに貼りつけて渡した。
すると、あるとき、宮内庁の女官長から、こう言われたという。
「(上皇さま、美智子さまは)喜んでいらっしゃる。これまでの絵も飾っておられます」
村岡園長は、驚きと同時にうれしさがこみ上げた。
■身を乗り出すようにお別れ
どんぐりから始まった交流は、上皇ご夫妻の引っ越しの日まで続いた。冒頭の仮御所からの引っ越しの日、こんな光景があった。
仮御所を出発する御料車の右のシートに上皇さま、左に美智子さまが座っていた。仮御所の門の外には、お見送りの職員らが並んでいた。車は静かに門を抜け、お見送りの職員らの間を通り過ぎる。
その瞬間、上皇さまが身を乗り出すように車の左側の窓に近づいた。上皇さまの視線の先にいるのは、愛星保育園の子どもたちだ。
「上皇さまが美智子さまの上に乗っかってしまうのでは、と思うくらい上半身とお顔を窓に近づけて、手を振ってお別れのあいさつをしてくださった」(村岡園長)
美智子さまの顔も見えた。両手に花束を抱えていた美智子さまは、優しくほほ笑みながら頭を下げて、子どもたちにお別れのサインを送った。
車は、仮御所の敷地を出て道路をゆっくりと走り出した。沿道で見送る人びとのなかには、目頭をぬぐう姿もあった。
おふたりは車が遠く走り去るまで沿道の人びとに感謝を伝えるように手を振り、美智子さまは何度も優しく頭を下げた。(AERAdot.編集部・永井貴子)