1992年4月30日に東京・護国寺で行われた追悼式には全国から3万7000人のファンが訪れたと報じられた
1992年4月30日に東京・護国寺で行われた追悼式には全国から3万7000人のファンが訪れたと報じられた

 没後30年たった今も、「10代の代弁者」といわれた尾崎の言葉は若者を魅了し続けているようだ。それは30年以上前に「若者」だった親世代も同じだ。

「当時は、静かな曲が好きで、尾崎はちょっと違うなと思ってスルーしていた。それがある時、“自分が思っていることと同じことを歌うんだ!”と思って、急にファンになりました。高校1年生の時でしたね。新潟県民会館でのライブにも行きました。一度、ライブ中に尾崎が倒れて、そのまま横になりながら歌ったことがありました。起き上がることができず運ばれて、このまま終わりか……と思っていたら、アンコールでステージに出てきたことがありました。そのライブを見た時に、何かギリギリのところまでやっていたんだなというのを感じました。命日には護国寺にはお墓参りに行きたいですね」(53歳・女性)

「ファンになったきっかけは、高校生の頃だったんですけれども、たまたま、『ILOVEYOU』がJR東海のCMの曲になっていたんですよ。そのCMを見て、曲がよくてハマっちゃったという感じです。ライブは行きたかったんですけど、当時は高校生で行かれなかった。卒業したらライブに行くぞと決めていてところ、亡くなってしまったんですよね。尾崎が亡くなったという知らせは、遊びに行っていた友達の家で聞きました。友達が“尾崎、亡くなったんだって!”と言うので、プロゴルファーのジャンボ尾崎さんだと思った(笑)。だから、“あぁ~そうなんだ”って流したら、“違うって、尾崎豊!!”と。ツアーもアルバムも決まっていて“え!?なんで?”って、ショックでした。翌朝のワイドショーで尾崎のことをやるので、全部、録画して見まくりました」(49歳・女性)

「高校生の時に『ドーナツ・ショップ』をFMのラジオで聞いてファンになりました。当時通っていた高校が校則がものすごい厳しい女子高だったんです。だから、尾崎の歌にものすごい救われた(笑)。ライブは1度だけ行きましたが、尾崎が活動休止中でフィルムコンサートでした。尾崎はその場にいないのに、映像が流れたら“ギャァー!”という歓声が上がって、やっぱり尾崎ってすごい存在なんだなって改めて思いました。尾崎が亡くなったときは、教員として働いていて、告別式の日は、教室の掃除をしながら涙を流しました。学生だったら告別式にとんで行かれるけど、社会人だから行かれないと……。尾崎の歌は普遍的ですよね。今も通じる言葉がそこにはある。それこそロシアのウクライナ侵攻を見ながら『COOKIE』という曲を聴くと、クッキーを焼いてくれという言葉だけれども、読み解くと感慨深いものがある。あふれる才能ですよね」(52歳・女性)

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