また、捨子があれば、これを保護し、捨てた者が見つからない場合は、辻番を設けた藩で養育されることになっていた。藩では、捨子に持参金をつけ、子供がいない庶民に養育させたので、捨子が絶えることはなかった。

■辻番は交番のルーツ

 将軍のお膝元である江戸のことだから、こうしたことはすべて幕府の責任で処理すべきことだったかもしれない。しかし、これをすべて行うとすれば幕府の手にも余るので、大名や旗本に委任したのである。大名らは、幕府の命令だということで忠実に務めたから、江戸の庶民のためにはよいことだった。

 こうした治安維持施設は、実はヨーロッパには見られない日本の特色である。明治七(一八七四)年、警察官が立つ場所に交番所が設けられ、同十四年には立ち番が廃止され派出所が設置された。これは江戸時代の辻番がそれなりに有効な施設だったことが再認識され、こんどは政府直轄の組織として再生されたものではないだろうか。

 現在は、日本の至るところに交番があり、警察官が常駐している。その経費はかなりのものだと想像されるが、地域住民の安全には代えられない。考えて見れば、辻とは道路が交わるところだから、辻番とはまさに江戸時代の交番だった。民間に任せる部分が多かったため、ともすれば批判される施設だったが、その意義は十分に認めなければならないだろう。

◎山本博文(やまもと・ひろふみ)
1957年、岡山県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院修士課程修了後、東京大学史料編纂所へ入所。『江戸お留守居役の日記』で第40回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。著書に『「忠臣蔵」の決算書』『大江戸御家相続』『宮廷政治』『人事の日本史』(共著)など多数。学習まんがの監修やテレビ番組の時代考証も数多く手がける。2020年逝去。

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