くしくも新庄と同じ97年に応援をボイコットされたのが、前出の清原だ。
西武から巨人にFA移籍した1年目、開幕から4番を務めた清原は、開幕3戦目、4月6日のヤクルト戦で移籍第1号を放ち、661日ぶりの復帰登板を白星で飾ったPL学園時代のチームメイト・桑田真澄とともにヒーローになった。
だが、その後はチャンスで凡退するシーンが多くなり、5月21日の横浜戦から5番に降格。5月終了時点で打率.229、7本塁打と不振にあえいでいた。
そして、6月6日の中日戦、巨人は初回に5連打で3点を先制し、なおも追加点のチャンスで、この日から6番に下がった清原が登場したが、熱狂の渦に包まれていたスタンドから突然太鼓とトランペットの鳴り物応援が消えた。
清原ボイコットの理由を、名古屋応援団の団長は「(みんなで相談して)前からやめようと決めていたんです。その分、ほかの選手を応援しようと」と説明した。
野球人生で初めて異様な静けさの中で打席に立った清原は、二ゴロで1打点を挙げたものの、この日は3打数無安打2四球と快音は聞かれずじまい。
現役引退後、「(応援が止まった)あの瞬間は本当に胸が苦しいというか、息が止まったというか、ショックでした。シーンとした球場が怖くて、どこにも居場所がない感じでした」(自著「清原和博 告白」文春文庫)と回想している。
応援団がフロント批判の横断幕を掲げ、選手の応援をボイコットする騒ぎに発展したのが、09年のロッテだ。
同年、ロッテ球団は経費節減のため、契約最終年となったバレンタイン監督の事実上の解任をシーズン前に発表したばかりでなく、久保康友と阪神・橋本健太郎との不釣り合いなトレードを断行。さらにバレンタイン神社が予告なく撤去され、千葉マリンスタジアムで販売されるビールの紙コップが小さいサイズに変わるなど、サービス面でもファンの心情を逆なでする出来事が相次いだ。
納得できないファンは、シーズンが始まると、バレンタイン監督の続投を求め、瀬戸山隆三球団代表をはじめ、フロントの対応を批判。その後、7月にバレンタイン監督が同年限りでの退団を明言し、いったんは沈静化した。