ほんとは他者によって慰められる孤独はありません。要するに人間はどこまでも孤独で淋しい存在なのです。それゆえに宗教があるのでしょう。

 そうそう、「なぜ出家したのか」というのも昔からよく聞かれます。「わからない、どうしてかしら」というのが私の正直な答えです。いわく言い難い微妙なもので、全体はどうしても一言でいえない。

 男との関係を断ち切るためとか、流行作家としての暮らしが虚しくなったからとか、自分の文学を高めるためとか、またある時は親しくしていた三島由紀夫と川端康成が相次いで自殺した影響、戦争末期に防空壕で自殺のようにして51歳で焼死した母の供養のため――いろいろと私もいったり、まわりからいわれたりしますが、やはりそれらだけじゃありません。

 ほんとに「仏縁」としか言いようがないんです。最近では「更年期のヒステリーだった」と話しています。更年期もひどくなると非常に苦しい。結果的に、私は出家したおかげで、人生の難局をうまく乗り切ったと思います。

 お釈迦さまもたくさんの弟子たちを愛し、共に暮らしました。その弟子たちがどんどん死んでいく。それはやはり淋しかったでしょう。ただ、お釈迦さまは「人間はひとり」と身に染みてわかっていました。

 ひとりになったら強くならないと生きていけない。誰にも甘えられないのだから。そばに相手がいたら、何か慰めがあったりしますが、ひとりの時は自分で考えて自分で動くしかない。それがお釈迦さまの生き方だったともいえるでしょう。

 だからほんとは、ひとりは淋しいものであると同時に、力強いものでもあるんです。「一人」と書くと情けなくなるから、漢字を思い浮かべるなら「独り」がいいですね。

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