ロシアは、開戦前後から、手のこんだフェイクニュースを様々に拡散させてきた。
例えば3月には、「ウクライナは生物兵器を開発している」とロシアの国防省が発表している。この発表を、今度は中国の新華社が転電する。ロシア側は、生物兵器製造の証拠として入手したという内部文書なるものも出していた。
が、イギリスの公共放送BBCのファクトチェックが明らかにしたように、ウクライナが生物兵器を開発したりしたことはない。
こうしたフェイクニュースは、SNSや画像加工などの技術が発展した2010年代以降のものとばかり思っていたが、その起源は、ユーリ・アンドロポフがKGB議長をつとめていた1970年代にまでさかのぼる。
そのことを知ったのは、ティム・ワイナーが出した『米露諜報秘録』(村上和久訳 白水社)を読んだからだった。
アンドロポフが、偽文書を使った情報攪乱という手法を考え出したのだ。
同書では、カーター政権時代に、KGBがアメリカの国家安全保障会議の文書を偽造した作戦が、起源のひとつとして描かれている。
KGBは、仲介役を通じてまず、その偽造文書をサンフランシスコの黒人向け新聞社に送りつける。するとそれを真に受けたその新聞社は、「アフリカの黒人とアメリカの黒人を対立させるカーターの秘密計画」という一面大見出しで、文書を報じる。それをタス通信が転電する形で各国で報じられ、アメリカでも一日だけニュースになった。
この他にも、エイズが国防総省の秘密機関の実験室から漏れたものだとか、ケネディ暗殺はCIAの仕業だとか、キング牧師の暗殺はFBIが実は仕組んだといった偽情報が、KGBによってばらまかれ、西側の人々の頭にしみ込んでいった。
この本の著者ティム・ワイナーと私は30年に及ぶ不思議な縁がある。
最初に彼の名前を聞いたのは、私がコロンビア大学のジャーナリズムスクールにいた1993年のことだった。当時私は、アメリカの調査報道がどうなっているのかを研究しており、私の指導教授に、フィラデルフィア・インクワイアラー紙にいたジーン・ロバーツを紹介してもらっていた。ジーン・ロバーツは、二流紙だった『インクワイアラー』紙をたてなおし在任18年の間に17個のピューリッツァー賞を受賞する一流紙に育て上げた名編集者で、その彼に、「調査報道のことをもっと知りたいのならば」といって、インクワイアラー紙からニューヨーク・タイムズに移籍したティム・ワイナーを取材の後に紹介してもらっていたのだ。が、このときは忙しさにかまけて連絡ができず帰国してしまった。