懐かしの給食といえば、ソフト麺を思い出す人も多いだろう。65年に初めて登場した。
「正式にはソフトスパゲッティ式めんといいます。給食用に輸入されていたパン用の強力粉を使いましたから」(吉田さん)
中力粉で作られるうどんとは異なり、ソフト麺は強力粉で作られたから、スパゲッティなのだ。
給食への参入を望んだ製麺業界が奮闘努力。生麺を蒸して冷水に浸したうえで茹でるという独特の製法で、栄養分が逃げないうえ、比較的伸びずにすむ麺を作った。
64年に東京都新宿区立市谷小学校で「ミルクカレーウドン」の試食会を実施。児童へのアンケートでは「おいしかった」が51.4%と過半数を占め、翌65年から東京都の給食に登場した。
とはいえ製麺業者は苦労の連続。新宿区の川崎製麺所代表取締役・川崎昌明さんが回想する。
「麺を個別の袋に入れてから、80度以上で30分間蒸気で殺菌。その後30分以内に配達をしないといけなかったから、献立にソフト麺を出す学校が何校も重なると大変。学校側に日をずらしてほしいと頼んでも動かしてくれないし。熱々の麺をバンに積んで運んだから、車の窓を開けても蒸気がすごい。フロントガラスを拭きながら運転しました」
給食は一大市場である。参入を望んだのは製麺業界だけではない。
「カレーも業界をあげて給食に出す努力をしました。子どもたちが給食で親しめば、将来大きな需要が見込めますから」(吉田さん)
メニューだけではない。食器にも懐かしさを感じさせるものがある。先割れスプーンだ。
文献によれば、59年に新潟県燕市の森井金属興業が、果肉をくりぬくため先を尖らせたメロンスプーンを改良して売り込んだと伝えられる。
その真偽を確かめたかったが、既に同社はない。そこで燕市産業史料館に問い合わせてみた。
「その当時、燕市の各社は海外の食器を日本人の暮らしや体形に合う形や大きさにアレンジして、製造販売していました。イチゴスプーンなどがその例です。燕市の会社が、メロンスプーンの柄を短くし先の尖った部分に丸みを帯びさせたことは考えられますね」(学芸員の齋藤優介さん)
先割れスプーンは一本でスプーンとフォークの役割を果たすので、給食に携わる現場の担当者から重宝された。だが76年から米飯給食が導入されたこと、70年代後半から前傾姿勢で食べる犬食いの元凶だと批判する運動が起きたことで、次第に消えていった。
70年代は給食の一大転換期でもあった。アメリカの輸出戦略によるパンの牙城に、米飯が食い込んできたのだ。また貧富の差や栄養不足を補うために始まった食事に、マナーが求められ、食育の場にもなっていった。
子どもたちの昼ごはんには、大人たちの様々な思惑が潜んでいた。それが給食の歴史でもある。(本誌・菊地武顕)
※週刊朝日 2022年6月3日号