日本人ならば子ども時代に多くの人が体験してきたであろう学校給食は、現在のようなかたちになってから、今年で70年になる。懐かしいあのメニューは、いったいいつから始まったのか、知られざるルーツを徹底調査した。
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パンもしくは米飯、おかず、ミルクの3点が揃った学校給食を、完全給食と呼ぶ。
これが全国の小学校に広まったのは、1952(昭和27)年。敗戦後の食うや食わずの子どもたちにとって、非常にありがたいことだった。今年はそれから70年という記念の年にあたる。
給食の人気者・揚げパンが生まれたのも、同じく52年頃のことだ。発祥は東京都大田区の嶺町小学校。
揚げパン誕生の背景には、インフルエンザの流行があった。給食の歴史をひもとくにあたり、まずはこの人気者誕生のエピソードを紹介しよう。
その頃は欠席した生徒の家に、近くに住む同級生がパンを持っていく習慣があった。
大田区教育委員会の担当者が説明する。
「当時のパンはすぐに硬くなってしまいました。調理師の篠原常吉さんは、流感欠席者においしく食べてもらうにはどうしたら良いかと考え、揚げパンを発案したようです」
揚げることで柔らかみを保ち、しかも砂糖をまぶしたことでおいしく食べられる。欠席した子への愛情が感じられる。
「揚げパンが大田区の小学校献立に登場したのは、1954年です。篠原さんは調理技術の向上に努めながら、東京都学校給食調理コンクールなどに出場しました。篠原さんを含む大田区チームが、都のコンクールで1位を受賞した記録もあります。揚げパンを披露したことにより、東京都レベルを経て、全国の学校に広まっていったのではないかと考えられます」(大田区教育委員会)
さて、日本で初めての給食が登場したのは、完全給食や揚げパンが出る60年以上も前のこと。1889(明治22)年に山形県鶴岡町(現鶴岡市)で始まった。
「寺院の住職たちが、貧しい家庭の子どもも学べるようにと、大督寺という寺の本堂の一部に忠愛小学校という学校を創立しました。でも貧しくて弁当を持ってくることができません。そこで住職たちは托鉢を行い、昼食を作ったのです。忠愛小学校は1897年に焼失しましたが、その後忠愛協会が設立され、1947年まで市内の各小学校に弁当を支給するなど支援を続けました」(鶴岡市学校給食センター)