周囲からは必死に味方を増やそうとしているように見えましたが、田中氏は敵を減らし、さらには世の中は敵と味方ばかりではないからと、その間にある「中間地帯」にこだわりました。そして、角福戦争といわれた佐藤栄作の後の首相争いにおいて、支持者の数に優れる福田赳夫に対して中間派を猛然と切り崩しにかかり、結局、首相の座を射止めたのです。のちに政治評論家となり多数の著書を残した早坂は「年を取ってからオヤジのいっていたことがよくわかった」と語ったそうです。

 田中氏の人生哲学がそこには現れています。味方をつくっても敵が増えれば、邪魔されて目的を達成できない、そう考えているのですね。また、田中氏は官僚操縦術にたけていたことも知られていますので別のエピソードを紹介します。

 同氏は大蔵大臣時代、同省の新入職員20名を整列させると一人一人握手をはじめ、メモも見ず、秘書課長にも教わらないで、一人一人の名前を呼んだといいます。顔を見て「おっ! 野口君、頑張れよ」という調子で。大臣が全員の顔と名前を知っていることに度肝を抜かれた新入職員を前に、田中角栄はさらにこう言ったそうです。「諸君の上司には、ばかな課長がいるかもしれん。諸君の提案を、課長は理解せぬかもしれんぞ。そうしたときは、遠慮せず大臣室に駆け込め。オレが聞いてやる」。結局だれも駆け込んだ人間はいなかったようですが、「駆け込んでいい」という言葉は、新人職員の心を捉えたといいます。

■「凡人」「冷めたピザ」と呼ばれた小渕恵三氏が首相になれた理由

 敵をつくらない官僚や政治家と聞いて、すぐに思い浮かぶのは1998年から2000年まで首相を務めた小渕恵三氏です。自民党総裁選で争った小渕恵三、梶山静六、小泉純一郎の3人に対して、先に紹介した田中角栄の実娘で国会議員を務めていた田中真紀子氏が「凡人、軍人、変人」と評したことが有名ですが、「凡人」と言われながらも「人柄の小渕」として飾らない性格で首相の座を射止めました。首相就任後も海外メディアからは「冷めたピザ」などと評され期待されていませんでしたが、就任以降じわじわと支持率を上げていったという稀有な政治家でした。

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「俺とあいつとどっちにつくんだ」