そんな機会を非常に多く体験してきた私ですが、実は、たくさんの人のこうした話を聴く中で、日本人の生き方には非常に大きな問題が潜んでいる、と感じていることがあるのです。
それは、企業人の多く、特に中枢に位置する人ほど、自分の人生の中で非常に重要な意味を持つはずの自身の人生の転機を、自分の意志とはまったく関係なく、会社の意志、もしくはそのときの人事を担当した他人の意志で決めていることです。
日本の人事や採用の仕組みがそうなっているので、これは日本企業としてはごく当たり前のことです。ですから、多くの人は特に意識していないのですが、よく考えてみると人生の在り方にとっては非常に重要な意味を持っているのです。
「どの部署で仕事をするか、勤務地をどこにするか」は、場合によっては自分の人生を決定づけてしまうような重大な事項であるにもかかわらず、自分の意向とは無関係に他の人の判断で決まるのが、日本という国の基本的な仕組みだということです。
日本企業が成り立っている人事の仕組みそのものがそうなっているのだから、一人ひとりにとっては仕方がないことではあるのです。
ただし、企業では当たり前のこととはいえ、日本のサラリーマン人生はそういうことの連続なのだ、ということの持つ潜在的な意味の大きさを思わずにはいられません。
これは日本ではごく普通のことですから、会社勤めをしている人の多くがそうやっているわけで、取り立てて問題がそこにあるとは思っていません。問題自体は薄々感じてはいても、仕方のないこと、受け入れざるをえないことだと思っているわけです。
■順調な会社員人生を送ってきた人に欠けている経験
確かに、受け入れざるをえないというのが現実でしょう。そこに問題があるというのなら、日本での会社人生はそもそも成り立たないからです。
しかし、私がこうしたことにあらためて問題を感じるようになったのは、そこに生じている「違い」に非常に大きな意味があることがわかってきたからです。