
それ以来、俺の気晴らしは相撲や稽古で勝つこと、それに仲間と酒を飲みに行くことになったね。若いうちは金がないから、両国から離れた平井や小岩に行って飲んでいたよ。当時のあの辺りは紡績が盛んで、工場で働く人たち向けに安く飲める店がいっぱいあったんだ。そこで仲間と気に食わない兄弟子の悪口を言っては憂さ晴らしをしていたよ。両国近辺でそんなことをしていたら、誰に見られているか分かったもんじゃないから、なるべく遠くに行って悪口を言うんだ(笑)。
そんな感じで、俺の相撲時代は毎日うっぷんを晴らす場があったのは幸いだった。それに嫌な兄弟子よりも番付が上になって、有無言わせないことを目標に頑張ることができたからね。番付が上に行った方が偉いというわけじゃないけど、上に行くとタニマチやスポンサーから飯の誘いがあって、送り迎えしてもらったり、帰ってきて着物を脱ぐとご祝儀袋がボトボトと落ちたり、そういう姿を見せられると相撲取りは「俺の手の届かないところにいるなぁ。俺とは違うんだ」と感じて自然に従順になるんだ。そうなるために、兄弟子に負けるか! とがむしゃらに頑張っていたころが懐かしいよ。
当時、相撲取りの気晴らしなんて酒を飲む以外は、パチンコかストリップを見に行くくらいしかなかったもんだが、北の富士さんと玉の海さんは、ゴルフやボウリングを楽しんでいたね。今では当たり前のようにみんなやっているけど、当時は相撲取りがゴルフやボウリングをするのは珍しかったんだよ。
ボウリングなんか中山律子さんや須田開代子さんが活躍していたんだけど、相撲取りには無縁の世界。北の富士さんや玉ノ海さんがボウリングをしていると聞いたら、俺を含め、相撲取りはみんな「え! あんなことしてるの!?」と驚いたもんだ。いやあ、あの頃から北の富士さんはイケてたね。時代の先端を行って、後ろにいる俺たちを振り返って「どうだ!」っていう人だったよ(笑)。