
50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「気晴らし」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。
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生きていれば嫌なこともあるだろうし、誰でも気晴らしや憂さ晴らしが必要だと思うけど、俺の相撲時代は簡単だった。取り組みで勝ったり、稽古場でも調子がいいと、その日一日、自分が天下を取ったような気になって、爽快でいられたよ。逆に稽古場でやられっ放しだと後を引きずって楽しくないから、そうならないように、稽古場では疲れ果てるまで場数をこなして満足して、風呂に入ってきついからだを癒して、ちゃんこを食って、寝て……を繰り返すことで充実感を得ていたもんだ。
稽古場で頑張るのは、日ごろから“かわいがり”をする気に食わない兄弟子を稽古でぶん投げたり、番付で兄弟子より上になりたいという思いが強かったからだ。いくら兄弟子とはいえ、稽古場での立場は五分。兄弟子をどんなにぶん投げても「この野郎、思い切り投げやがって!」とは怒れないからね。ぶん投げるたびに「ざまあみろ!」という気持ちだった。それはもう、その頃の俺にとっては最高の気晴らしだ。
中には“かわいがり”を気晴らしでやる兄弟子もいた。俺は13歳で相撲部屋に入ってすぐに、ぶつかり稽古で羽目板にぶつけられたり、ほうきや竹刀で殴らてからだ中がみみずばれになるほどのかわいがりを受けている相撲取りを目の当たりにした。でも、当時はそれが当たり前で、俺も「これが相撲社会なんだな」と思っていたよ。
それに、俺自身もかわいがりをしたこともある。それは俺より下の新弟子が俺に対してナメた口をきいたもんだから、示しを付けるためにやったんだが、やっている俺も恐怖を感じた。なぜなら、かわいがりをしていると、段々興奮してきてエスカレートしてしまうからだ。最初の方は手加減してやっているんだが、竹刀で叩いたり、羽目板に叩きつけたりとやっているうちに抑えが利かなくなって、どんどん人間の残虐性が出てしまうんだよ。これは怖いことだと実感したね……。