
店主の藤岡敬大さんは千葉県の四街道市出身。もともと大のラーメン好きで、高校時代から千葉エリアを食べ歩いていた。友人と暇を見つけてはラーメンを食べに行く日々。自動車の免許を取ってからは都内にも繰り出した。
社会人になると、「東京のラーメン屋さん」というウェブサイトの20代限定のオフ会に参加するようになる。その頃は夜に仕事をしていたため、日中に1日5杯ペースで食べ歩きをしていたという。23歳のときには、周りの推薦もあり、テレビ東京「TVチャンピオン」のラーメン王選手権の予選に出場したこともある。
当時の藤岡さんは、ラーメンを職業にしたいという思いから、ラーメン評論家に憧れていた。だが、この予選を受けたことで、上には上がいることがわかった。そこから一転、藤岡さんはラーメン屋になることを決意する。
人気店を徹底的に研究しようと、「超らーめんナビ」というサイトの人気の上位20軒を食べ歩き、修業先を探した。このとき1位になっていたのが「九段 斑鳩」。食べて店を出るとき、居合わせたカップルが満面の笑みで帰っていくのを見て、この店で修行することに決めたという。こうして藤岡さんはラーメンの世界に飛び込んだ。

藤岡さんが修業に入った04年は、「斑鳩」が最も伸びている時期だった。年末のテレビ番組の特番でも上位にランクインし、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで行列を伸ばしていった。
入社してからは、先輩社員が多かったこともあり、藤岡さんはしばらく接客を担当。しかし、「斑鳩」の接客は並の接客ではない。そこにも坂井店主の哲学があった。
「“にこやかで品のある接客”がモットーでした。言葉で言うのは簡単ですが、それを『いらっしゃいませ』『ありがとうございました』で表現しなくてはいけないので、これが結構大変なんです」(藤岡さん)
なかなかラーメンは作らせてもらえなかったが、藤岡さんは自分には接客業が向いていることに気づいた。お客さんとのコミュニケーションに楽しさを見いだしていたのである。この気づきが、その後の藤岡さんを作っていくことになる。
3年ほど経ち、ようやくラーメン作りに携わることができるようになったが、これがとにかく大変だった。ラーメン作りに集中すると、お客さんの顔が見えなくなってしまうのである。それが不安で不安でしょうがなかった。不器用だった藤岡さんは、陰で練習を重ねて少しずつ覚えていった。
「斑鳩」で修行を始めて5年経ち、藤岡さんは29歳になっていた。その頃には全ての仕事を任され、自信も出てきていた。「斑鳩」のラーメンではなく、自分のラーメンを作って独立したかった藤岡さんは、いよいよ坂井さんに独立について相談をすることになる。