撮影:安掛正仁
撮影:安掛正仁

■異界を探し求めて歩く

「蛞蝓草紙」は2011年から16年にかけて断続的に発表した作品で、当時の写真展案内を見ると、人気のない商店街で一人、ランドセルを背負う男の子が写っている。その姿を覆う黒く大きな影が、楳図かずおの恐怖漫画のような、あやしい雰囲気を醸し出している。

「それが、私の見たかった風景。小学生のとき、『恐怖の心霊写真集』とか、はやったじゃないですか。海の波間に少年の顔があったり。学校からの帰り道がどよーんとして見えた。いま思えば、そういうふうに景色が見えたことが楽しかった。『蛞蝓草紙』は、そんな『異界』というか、違う世界みたいなところを探し求めてさまよい歩いた」

 実際に撮影した場所については「どこ、というのはあまりないですね。家のまわりだったり、旅行に行ったところだったり」。

 とは、言うものの、東京・台東区日本堤周辺をよく歩いた。

「ぼくの父は浅草生まれで、祖父は吉原相手に染物屋をやっていたらしい。それを聞いてから、そこの風景が変わって見えた。だから案外、そこらへんのイメージが入っていたりするんです」

撮影:安掛正仁
撮影:安掛正仁

■足かせが一つ外れた

 ただ、今回の「朧眼風土記」は、異界を写したような雰囲気こそ「蛞蝓草紙」と似ているものの、プリントの感じや撮影場所はまったく違う。

 影の部分を黒く焼きつぶすようだったプリントは、陰影の薄いフラットなものに大きく変わった。

 きっかけは、「蛞蝓草紙」を写真集にまとめた16年、写真家・塩谷定好の作品との出合いだった。

「三鷹市美術ギャラリーで塩谷定好の写真展をやっていて、ぷらぷらっと入って、軽い気持ちで見たら、(こりゃ、やられたな)って感じでしたね。表現の豊富さ、見えていた風景に対するアプローチの自由さに」

 塩谷は昭和初期、故郷、鳥取県赤崎町で日本海の風景や山陰の風土を柔らかな印象のソフトフォーカスの手法で写した。

「いまはなんか、写真に手を入れない、操作しないことが正義、みたいな風潮がある。自分はストレートな写真は焼いたことがないというくらい、焼き込みとか覆い焼きをやる。そんな作品を展示していろいろ言われたんです。でも、塩谷定好の作品を見て、(やっぱり、そうだよな)と思った。自分の見たいものに正直にアプローチして紙に表す、というか。そこで、足かせみたいなのが一つ外れた」

 安掛さんはソフトフォーカスのほか、ゴム印画法やブロムオイル印画法などの古典技法を研究し、それをデジタルカメラによる作品づくりに生かせないか、模索した。

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