そういえば、工藤さんの師匠である竹内敏信さんも風景をドキュメンタリーの延長上にあるものとしてとらえてきた。
実を言うと、先に書いた竜頭ノ滝の写真を目にしたとき、思う浮かんだのは、竹内さんの作品だった。
それが「豪雨の後の桜」と名づけられた一枚で、北アルプスから流れ下る神通川を橋の上からほぼ真下にレンズを向けて写している。大雨によって水かさが増し、川幅いっぱいの激しい濁流となっている。そのわきに名もなきヤマザクラが咲いている。
今回ほかにも、西日を浴びた雲海の上に小さく富士山が見える作品があるのだが、これも竹内さんの写真集『天地聲聞』にある雲海の写真と重なる雰囲気を感じる(偶然だが、2枚とも北海道取材の帰りの飛行機から撮影している)。
■風景を撮り始めたわけ
工藤さんというと、昔から風景写真家のイメージを抱いていたのだが、今回、改めて話を聞くと、かなり長い間、都市風景を撮り続けてきたという。
「竹内事務所を卒業してからも街の写真ばかりを撮っていて、風景写真は本格的には撮っていなかったんです。函館、横浜、神戸、長崎とか、古くから港を開いて、異国の文化が入ってきた街ばかりの『港町シリーズ』を撮っていた」
ところが、どの街も観光地化が進み、「お台場みたいに整った、つくられた街になってしまった。金太郎あめを切ったみたいに同じで、港町としての色気がなくなってしまった。撮る対象を風景に変えていった理由としてはそれが大きいかな」。
竹内さんも20代は伊勢湾岸に広がる中京工業地帯を撮影し、本格的に風景を撮り始めたのは30代後半からだった。
ふつう、写真家のアシスタントを務めると、独立後、師匠の色から抜け出るのに苦労することが多いのだが、工藤さんの場合、一本立ちすると師匠とはまったく別の道を歩んだ。
ところが、紆余曲折をへて、風景写真家になると、竹内さんの被写体に対する姿勢と響き合う部分が増えてきた。そんな不思議さを作品に感じた。
(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】工藤智道写真展「列島光明」
竹内敏信記念館・TAギャラリー 6月4日~6月25日